名草山登り口、神秘の中言神社。
中言神社の特徴
中言神社は名草山への登り口で、古代名草戸畔の伝説が息づく地です。
ご祭神には名草彦命と名草姫命が祀られ、境内社も充実しています。
境内に植わる杉は、名草戸畔に由来する特有の名前がつけられています。
中言神社の総社です。名草姫は神武東征により戦に敗れしまったが、その子孫は紀氏と関係を持って、紀ノ國に縁を持ち続けていたとのこと。名草一族は悲劇ばかりかと思っていたが、なかなか力強い一族であったんだなと思いました。
名草山への登り口、古代名草戸畔の伝説を彷彿させる地です。
ご祭神:名草彦命,名草姫命境内社:天満社,八王子社。
中言神社の境内の両脇に植えてある2本の杉にも同じ名前をつけました。右が岩崎宏美の宏美で、左が岩崎良美の良美です。一番目の鳥居の写真がそうです。分かりにくいかも知れないけど、鳥居の右側の柱の上の杉が宏美で、鳥居の左側の柱の上の杉が良美です。それから、二番目の杉の写真が宏美で、三番目の杉の写真が良美です。そして、中言神社の境内に入ったら、他に杉とかヒノキをたくさん植えてあるので、高野山奥の院のことを思い出します。
中言すなわち神と人の間に立ち、神の言葉を聞き人々に伝えるまるで卑弥呼のようなシャーマン「名草戸畔」の事である。古事記では神武東征のさい天誅にあったとされる「名草戸畔」ゆかりの神社、神武東征の後もそれは変わらず地元の人々にあつく信仰されてきたのである。ちなみに古事記の神武東征はただ名草戸畔を天誅にしたと記されているだけで、本当に勝利したのだろうか?もし実際に打ち破れたのであれば神武軍は紀ノ川をさかのぼりそのまま大和の地にたどり着けたはず、わざわざ南紀から北上したのは、名草戸畔は倒せたが名草の民の反発は治まらず紀ノ川を遡るのを諦めたのでは無いだろうかと私は妄想する。また紀ノ川河口はその当時今の場所と違い、名草山の麓今の和歌川が河口であった。
中言神社の総本社です。
名前 |
中言神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
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中言神社の総本社。名草姫に会いに。神武東征の途中に、領地や村人達を守る為に戦った名草姫は、地域の皆様に今も大事にされています。お御魂は名草神社に合祀されていますが、ここ地の良い気が流れていました。