古より続く熊野の神々
熊野神社の特徴
主祭神に伊弉諾神や伊弉冊神を祀る神社です。
境内には八王子神社や秋葉神社が祀られています。
往古の出雲民族の祖神が植民に関わった神社です。
くまのではなく、イヤと言うようです。周り付近の地形が高台になっていて、少し探しました。
往古出雲民族が紀伊に植民する際にその祖神の分霊を出雲の熊野より紀伊の新熊野に勧請する途中、「当地に熊野神が一時留まりませる」ということが当神社由緒の発端になっている。平成2年10月熊野大社(出雲)発行の冊子『熊野大社』の50頁12行目に「熊野大社(出雲)に残る言い伝えによると、近くの村の炭焼職人が紀伊国へ移り住んだときに熊野大社の神主がクマノノオオカミ(熊野大神)のご分霊を持って一緒に行き、それをまつったのが現在の紀伊本宮大社である、としている」との文が見え、当神社由緒との整合性がみられる。往時は盛況で例祭における渡御は田辺牛ノ鼻までと伝えられ、道中鉾につけた鼻高の面が海の方に向くと漁事に障があるということで漁民が大変恐れ、また馬が嘶くときは凶事のある兆しとして、沿道の人々が恐みて炊煙を上げず、道を掃き潮を打って清め、ひたすら、無事に通過するのを祈ったということである。渡御先の「田辺牛ノ鼻」は現在田辺市芳養町国道42号線沿いバス停「牛ノ鼻」の近くに「日高郡熊野神社渡御旧跡」の石碑(近年、田辺市芳養町在住の崇敬者の方々の盡力により石碑の掘り起こしと整備がなされた)があり、その名残をとどめている。田辺牛ノ鼻までの渡御の始まりは不詳であるが、室町時代永禄年間(1560年頃)まで続いたことが最近明らかになってきた。時は下って、徳川時代紀州藩主南龍院公(頼宣公)の三男頼純公(後、松山藩藩主)が疱瘡を患い、当神社と大山権現神社に祈願され初穂を奉納せられたが、幾許もなくして平癒された。さらに有徳院公(吉宗公)も疱瘡を病み祈願されたがこれも御全癒された。
名前 |
熊野神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0738-22-3123 |
住所 |
|
HP |
http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=6005 |
評価 |
4.0 |
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主祭神:伊弉諾神,伊弉冊神,大日霊女神配祀神:国常立神,天忍穂耳神,木花咲耶姫神,磐長姫神,須佐男神,火乃須曽利神,宇賀魂神,猿田彦神,天佃女神, 神大和伊波礼彦神,大巳貴神, 天児屋根神,焼芝王子, 厩戸皇子,武甕槌神,万幡姫神, 経津主神,金山彦神境内社:八王子神社,秋葉神社。