名前 |
若宮神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
熊野には王子がたくさんあって、能野九十九王子と呼ばれています。和歌山県の調査では、現在は九十二しか追跡できないということです。若一王子とか若宮とか王子宮といわれるものは、荒れる神様をまつったものです。けっして主神である神様の子どもという意味ではないというのが、最近の宗教民俗学・宗教学あるいは民俗学ではほとんど定説になつている考え方です。若宮八幡は八幡さんの子どもではなくて、八幡さんの荒魂です。崇りやすい神様、御霊神だと解釈すると、若宮というものがよくわかります。日本の神様、とくに民俗信仰における神様は、霊験あらたかな神様ほど崇ります。若宮として荒魂の神、崇る神をまつれば、親神様に当たる御本体の神様よりもよく願いを聞いてくださるということで、若宮信仰は大きくなりました。ですから、若一王子は天照大御神でもなんでもなくて、要するに崇り神の代表者です。 その他の王子は手向の神と書かれています。平安時代には手向を受けるような神でした。その場合、木の下に旅で亡くなった人の霊をまつったようなところに王子がまつられています。手向に供えるのは柴や花です。常磐木の枝を花とも柴ともいって、そういうものを折って手向けました。ですからこのあたりには、各所に柴神様とか花折峠か花立峠があります。柴神様には通る人が木の枝を折ってあげています。それが崖から落ちて死んだ人、あるいは途中で病気で亡くなった人のための手向です。 天照大御神と決めてしまうのは後世の信仰で、本来の信仰ではありません。ところが、江戸時代に入ると、どこでも神道化が進んで、中世までは社僧が経営していたところも、のちには神主・禰宜のほうにいってしまいます。紀州藩などはとくにそうです。禰宜を非常に保護して、できるだけ還俗させました。明治維新を待たずして神仏分離が進行していたから、江戸時代になると天照大御神が出てきます。