格式高い五体王子、熊野古道の息吹。
切目神社の特徴
熊野古道沿いにあり、万葉歌碑が魅力的です。
国指定文化財で格式高い五体王子社の一つです。
境内には御神木のなぎの木や説明書きが整備されています。
きれいに整備されてます。すぐ前に駐車場あります。書き置きの御朱印あります。
熊野古道紀伊路のスタンプ設置の王子です。紀元67年の建立だそうで、歴史の深さが感じられます。神々しいですね。
国指定文化財の歴史ある素晴らしい神社です。
和歌山の王子巡りをされる方には興味深いところでしょう。とても綺麗にされていて、南国の木々が植えられ不思議な感じのする神社⛩でした。駐車場🅿️有りお手洗いはスーパー綺麗❗️地元の方が大切にされていることがわかります。
一御鎮座地和歌山県日高郡印南町大字西ノ地三二八番地二御祭神(五代の神々を祭神とするところより五体さんとよばれています)三 御由諸王子宮の御鎮座は大和時代崇神天皇の御代にさかのぼります。そうして社殿の再建は百年毎に行われ現代に至っています。古来、飛鳥・奈良・平安時代と朝廷の熊野信仰の昴まりと共に切目王子社もまた大きく歴史上に名を留めています。特に十一世紀より十三世紀の三百年間、法皇・上皇の熊野御幸が最も多く、その中継遥拝所たる切目王子もまた九十九王子社の中の五体王子社として高い格式を与えられていました。四沿革一、紫神天皇六十七年御垂跡覆天雨宮五体王子と宜う。大山祗神の末孫大山国底祝職となる。一、景行天皇十九年神社再建(以下百年毎に再建)一・成務天皇二年廷より社領千石の御朱印を受く。一、仁徳天皇二十八年御所御殿造営一、仁賢天皇二年神社焼失(同年再建)一、大化元年(六四五)御所御殿造営一、天延元年(九七三)御所御殿造営一、平治元年(一一五九)熊野詣の途次、切目王子にて、都の反乱を知らされ、急拠社前で評定し帰京した平治の乱の平清盛・重盛にまつわる伝承。一、正治二年(一二〇〇)後鳥羽上皇熊野御幸の途次、切目王子にて和歌会の記録「熊野紙」十一人二十二首(切目紙とも言われる)。真筆は国宝として現在西本願寺所蔵(当社にその写しあり)。一、南朝元弘元年(一三三一)大塔宮(護良親王)参詣、霊験により切目川から十津川へ逃れる。一、建武二年(一三三五)大塔宮を末社に祀る。一、天正十三年(一五八五)豊臣秀吉の紀州攻めによる神社の全焼文禄元年(一五九二)再建。一、寛文五年(一六六五)初代紀州藩主・徳川頼宜公参詣。手植えのナギの木及び奉納の絵馬・香炉等が現存。以降、紀州徳川藩主代々参詣、仰篤し。一、昭和三十四年(一九五九)一月八日史跡「切部王子跡」として和歌山県文化財指定。一・昭和五十四年(一九七九)十一月桧皮屋根葺き替え(橋本市谷上伊三郎氏による)一、平成二十九年(二〇一七)五月桧皮茸屋根き替え(橋本市谷上社寺工業株式会社による)五 天然記念物「切目神社のほるとのき」昭和三十四年一月八日和歌山県文化財指定目通り幹周四m根廻り六m 樹齢三百五十年以上ナギ 寛文五年(一六六五)南龍公徳川頼宣の御手植樹齢三百五十年以上六例祭一月一日(歳旦祭)三月十八日(春祭)七月十八日(夏祭)十月十八日(秋の大祭)十二月十八日 (お戻り祭)*秋の大祭は十月の第三日曜日七境内社浦安神社 (事代主命)地宗神社(猿田彦保食神市杵島姫神)大塔神社(護良親王)以上、氏子一同の一途な仰と再建等々、波乱万丈の史実に裏付けされています。
熊野九十九王子社の中でも格式高い五躰王子社の一つです。熊野古道紀伊路では海南市にある藤代王子と切目王子が五躰王子となります。
神社の入口の向かいに、新しい駐車場無料があります。砂利敷きで10台以上止められそうです。車イス専用の駐車場が1台分あります。その横に新しくてキレイなトイレもあります。
古より数々の伝承と歴史が息づく地です。
風が気持ちよかった。
| 名前 |
切目神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0738-43-1181 |
| HP |
http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=6042 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
きれいに整備されてます。すぐ前に駐車場あります。書き置きの御朱印あります。