波照間島の歴史を知る旅。
学童慰霊碑の特徴
波照間島の歴史を感じられる慰霊碑で、感慨深い体験ができます。
学童疎開の悲しい過去を伝える場所として重要な位置を占めています。
太平洋戦争の記憶を語り継ぐために訪れる価値のある寺院です。
戦時中にマラリアで亡くなりました。西表島の南風見田海岸には忘勿石(わすれないし)がありますが、波照間にはこの碑があります。
2024.02.27戦争末期、波照間島の住人は軍命により、ここから見える西表島の南風見田の浜に強制疎開させられている。碑には4月8日とあり、米軍が本島に上陸した直後だ。その後、波照間島に上陸するから住人を守ろうとでも考えたのだろうか?!波照間島を望む南風見田の浜に移った住人は、粗末な家々を海岸沿いに築き(今は自然に還っている)、青空のもと授業をしたという。しかし西表島はマラリアの汚染地帯で、子供を含む多くの方が亡くなっている。子供たちの死を看取った先生が西表島の岩に刻んだ文字が残っていて、「忘勿石(わすれないし)」という。興味を持たれた方は南風見田の浜も訪れているとよい。この碑は1984年に建てられたもので、当事者がご健在であった頃のものだ。碑文をみると、当時の軍の責任者を実名で「許すが忘れない」とある。字体は怒りに満ちている…重い。すぐ横には、新しい石碑が建設中だ。古いものは崩壊の危険性があるなら、島内に歴史資料館がないのだから建設して、保存して置くべきである。
太平洋戦争の時、波照間島の子供たちは西表島に疎開をしたそうです。実質は日本軍によるマラリア有病地帯への強制移動だったそうで、送り込まれた子供の多くがマラリアで亡くなられたとのこと。その慰霊のために建てられたものです。
ここで学童が亡くなった訳ではなくて、疎開先の西表島でマラリアで亡くなったそうです。脾は亡くなった西表島の方を見ているそうです。
| 名前 |
学童慰霊碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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2024年の8月に行きました。こんな歴史があったのを知りませんでした。