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大正末期から昭和初期に構築された護岸沖縄戦時に米軍が中城湾より上陸する事を想定して、銃眼(銃を構えて覗き込む穴)用に護岸の一部を砕いて準備を進め、後方には掩体壕も構築されたが知っての通り米軍は嘉手納一体から上陸したため実戦で使われることはなかった近年の護岸改修工事で大正から残る護岸は消滅すると思われる画像にある青い線部分が消滅した当時の護岸赤い印は私が実際に確認した銃座と護岸黄色は未確認だが部分的に現存してそうに見える場所(雑草で覆われて到達不可)沖縄に昭和以前から残るコンクリート建造物は殆ど残っていないので大変貴重だと思う。