高台から眺める瀬戸内海。
西方院の特徴
高台から広がる瀬戸内海の絶景が魅力です。
瀬戸内海を一望できる心地よいスポットです。
気持ちが良い眺めを楽しめる特別な場所です。
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高台からの瀬戸内海を眺められて気持ちが良かったです。
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| 名前 |
西方院 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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西方院(さいほういん)は、宮島桟橋の南西1.3kmほどの広島県廿日市市宮島町滝町に伽藍を構える真言宗御室派の寺院です。厳島神社の別当寺である大聖院の重要な塔頭の一つです。創建年代は不詳で、元々は「東坊(ひがしのぼう)」と呼ばれていました。戦国時代の天正年間(1573〜1592年)京都の仁和寺の門跡であった仁助法親王(にすけほっしんのう)が宮島に滞在した際、その由緒によって「西方院」の家号を賜り、門下に準ずる格式高い扱いを受けるようになりました。以降、大聖院を構成する有力な一坊として、厳島神社の法会や信仰を支える重要な役割を担いました。度重なる災害と再建江戸時代以降も宮島の名所として広く知られていましたが、文化4年(1807年)に発生した大風などによって屋根が損壊する被害を受けるなどしました。その後も修復を重ねながら、明治時代までその系譜が守られていきました。境内に築かれた庭園『雪舟園』は、文明年間(1469〜1487年)に、室町時代の画聖である雪舟が宮島を訪れた際に築庭したという伝承が残されています。背後の自然景観を巧みに取り入れた林泉(池泉)庭園であり、その石組みや構成には室町時代の造園様式の面影が色濃く残されています。宮島には雪舟が旅の途中に立ち寄ったとされる旧跡が複数残されており、この庭園も「雪舟好みの名園」として歴代の文化人や知識人に愛され、鑑賞されてきました。明治時代初期に行われた神仏分離(廃仏毀釈)の荒波により、西方院もその影響によって廃寺へと追い込まれることになります。寺院としての機能を失った後は、明治時代に旧日本陸軍の第五師団長であった野津道貫(のづみちつら)中将の別荘へと姿を変えました。名園としての美しさは近代に入っても保たれ、大正から昭和初期にかけて活躍した絵師・吉田初三郎が描いた観光案内図にも宮島の名所としてその名(短冊)が刻まれています。現在の西方院は、建物自体は現存しておらず「西方院跡(雪舟園)」の石碑と重厚な門が残るのみとなっています。門の内部は文化財保護法に基づく「国宝重要文化財等保存・活用事業」などの補助を受けながら維持・整備が行われていますが、現在は私有地となっているため一般公開はされておらず、内部に立ち入ることはできません。真言宗(しんごんしゅう)は、平安時代初期に空海(弘法大師)が中国(唐)から日本へ伝えた正統な密教の宗派です。その教えの中心は「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」にあります。これは、厳しい修行を通じて、誰もがこの身のままで現世において究極の悟りを開き、仏(密教の最高仏である大日如来)と一体になれるという思想です。この目的を果たすため、身体の動作(身)、言葉(口)、心(意)の3つの働きを仏と一致させる「三密(さんみつ)の修行」を重視します。主な経典には『大日経』や『金剛頂経』のほか、『般若心経』や『理趣経』が親しまれています。総本山である高野山(和歌山県)をはじめ、東寺(京都府)などが信仰の拠点であり、全国に多くの大本山や派(高野山真言宗・智山派・豊山派など)が存在します。お唱えする言葉(御宝号)は「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」であり、現代でも四国八十八ヶ所を巡るお遍路(遍路)の文化など、庶民の信仰として深く根付いています。真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)は、仁和4年(888年)宇多天皇によって京都に仁和寺が創建されたのが始まりです。天皇が退位後に出家してこの寺に住まわれた(御室に入られた)ことから、仁和寺は「御室御所」とも呼ばれ、皇室と深い関わりを持つ門跡寺院の筆頭として発展しました。