歴史が息づく厳島神社外宮。
地御前神社の特徴
厳島神社の外宮として由緒ある地御前神社です。
管絃祭の御座船を迎えるための雁木が設けられています。
美しいイチョウが色づく神社で心が落ち着きます。
厳島にある厳島神社を内宮、こちらの地御前神社の外宮として推古天皇(聖徳太子)の時代よりある由緒ある神社だそうです。それほど大きな神社ではありませんが、歴史を感じます。作りが特徴的で鳥居と本殿の間に道路が横に走っています。鳥居を出て線路を渡って、線路沿いの国道を渡ればすぐに海です。あと、敷地内に元内閣総理大臣でもある軍人の寺内正毅(てらうちまさたけ)の書がありました。失礼な話ですが、ビリケン宰相と呼ばれていた方です(笑)寺内正毅は長州出身のはずですが、なぜ広島のこの地に「皇威輝八紘」という文字を揮毫されこの地御前神社に奉納たのでしょうかね。
御祭神・市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命推古天皇元年(593年)島そのものが神として崇められ、人があがることが許されていなかった宮島。御神体である島を拝するため、対岸に創建したのが、地御前神社です。
世界遺産厳島神社外宮⛩ 800年前厳島神社と同時に建てられた。平清盛たちが建てました。
イチョウが美しく色づいていました!2021.11.15.
かつて島そのものが神として崇められ、人があがることが許されていなかった宮島。そのため、御神体である島を拝するため、対岸に創建したのが、地御前神社の前身です。広島電鉄・地御前駅からほんの徒歩数分の場所にあり、厳島神社の伝承では、創建は厳島神社と同じ593年、推古天皇の時代と言われています。当時の地御前神社の境内には、19もの殿舎が立ち並ぶほどの荘厳な神社でしたが、現在では拝殿と本殿、客人本殿の3つを残すのみとなりました。(拝殿は1915年に再建)また、少なくとも江戸時代までは、地御前神社の目の前までが海であり、海中に鳥居がたち、拝殿のすぐそばまで船で入ることができたそうです。拝殿の右側には、天井まで届かない途中で切られたような柱がありますが、これは海から船で訪れた際に、船を係留させるための柱であったと言われています。また、地御前神社の前にあった浜は、天文24年(1555年)毛利元就と陶晴賢が戦った厳島合戦の舞台ともなっています。また、厳島神社の外宮である地御前神社と、厳島神社、弥山にある奥宮・御山神社は直線で結ばれる位置に鎮座しています。当時の人々が、どれほど御神体・宮島への想いと信仰をこめて創建したのかがわかりますね。地御前神社の鳥居にも「厳島外宮社」としるされているので、実際に確かめてみてくださいね。最近では御神体・宮島への本来のお参りができるパワースポットとして、広島県内外から人々が訪れることも多い地御前神社。地御前神社のまわりは、当時の面影を残し、周辺の町並みには、まるで昔の時代に入り込んだような気持ちになる、古き時代をしのばせる風情に満ちた格子や白壁が残っています。広島電鉄・地御前駅からも徒歩数分なので、ちょっとした散策にもぜひおすすめしたい場所です。
厳島神社の外宮として創建された神社、厳島に向いて建っています、拝殿の奥、向かって右側にあるのが五間社流造の本殿、左側が三間社流造の客人宮本殿で共に江戸中期の再建です由緒ある社なのですが、鳥居のすぐ前を広電、本殿の背後に山陽線の線路が走り、電車がひっきりなしに通るので、神様もさぞ落ち着かない事でしょう厳島神社の祭礼である管絃祭の御座船を迎えるため、雁木が設けられています。
聖地厳島の対岸の外宮。広電地御前駅から、海の反対側の古い街道を通って地御前神社に向かうと、古い町並みが見れる。近隣に寺社仏閣や隠れた史跡も多く、散策にオススメのエリア。
歴史のある立派な神社です。
現在の宮島、厳島神社を内宮(本宮)御山神社が奥宮、そしてこの地御前神社が外宮である。厳島神社と創建は同じとされ、平安時代には既に記録が残っているとされる。御祭神は三社共に市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。宗像三女神を祀る。地図上で見ると奥宮と内宮、外宮と一直線で結ばれている。厳島神社、御山神社と合わせて詣ると良いかと。
名前 |
地御前神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0829-36-0795 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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厳島神社の外宮です。御朱印はありませんが歴史ある神社です。