山本周辺の桜、早々と開花中!
内空閑城跡の特徴
内空閑城跡は南北朝時代に栄えた重要な史跡です。
満開の桜が美しい時期の訪問がおすすめです。
周囲の風景が歴史を感じさせるスポットです。
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今年の桜早々と開花かな暖かくなりました。
周りの風景が見えない昔は見えていたいから?周囲の木々がしげりすぎたのでは❗️
整備がされて無くて…草ぼうぼう(×_×)
名前 |
内空閑城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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内空閑氏は南北朝前後に下向し菊池氏の下でこの山本周辺を治めた氏族で伊賀国から来た服部氏の流れとされる。九州の南朝方の最大勢力であった菊池氏の応援に来たという説と南北朝後に菊池氏のお目付け役として北朝方から派遣された説があるようで文献によって解釈が異なるが自分は後者の可能性が高いと感じた。内空閑氏は金毘羅山中腹にこの内村城(内空閑城)を建てたが初代基貞の時に西の霜野地区に隠居し、その後は居館はそちらにあったと考えられている。内村城以外にも霜野の居館周辺の霜野城、国見山中腹(現康平寺裏山)の権現岳山城、内村城から西&霜野城から南側を守る大平城があったとされる。また、内村城から北東の吉松小学校の東の方にも内空閑氏のものと思われる山城跡があるらしい。内村城・霜野城を中心に各地に砦のような山城を複数持ち連携させていたと考えられる。戦国時代以降については内空閑氏で検索すると分かるので割愛する。