八幡宮の愛情感じるお参り。
長束神社(被爆建物)の特徴
長束神社は、古くは八幡宮と称された由緒ある神社です。
境内には文政六癸未年の石灯籠があり、1823年に建てられました。
新嘗祭では、臼と杵で餅つきを行い、参加者にはつきたてのお餅が振る舞われます。
行ったことないです。見たことしかないです。
成就効果高し。
境内にある石灯篭には「文政六癸未年」と刻まれており,1823年に建てられたことが分かります。
太田川放水路の土手脇にあり、小振りですが由緒ある神社で、昔は八幡宮の名だったとのこと。御朱印をいただけましたが、太田川総水神ということは知りませんでした。
太田川沿いの散歩コースの途中にある神社⛩気になったのでお参りしてみました😊入り口の獅子がマスクで感染予防しています👍神主さんの愛情を感じました✨
桜の時期に行きましたが、とてもきれいでした!御朱印も頂けて良かったです♪なんだかホッとできるそんな空間でした。
おみくじに付いているおまけを集めるのが新年の楽しみ。
以前、よくお参りしていました。神主さんは出雲大社で修行をされていたそうです。
静かな佇まいの神社です。御朱印いただけました。
名前 |
長束神社(被爆建物) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
082-239-2522 |
住所 |
〒731-0135 広島県広島市安佐南区長束1丁目32−16 |
HP | |
評価 |
4.2 |
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当社は貞観十二年(870)九月第五十六代清和天皇(平安時代)の長束西大年山に御勧請となり中古現在地にご遷座を仰ぎたるもので現在の神殿拝殿は文政十一年(1828)四月第百二十代仁孝天皇(江戸時代)に建造されて長束全地域の総氏神として鎮座し古くは八幡宮と称す。八幡信仰は、九州の宇佐神宮が発祥で奈良時代から皇室の崇敬篤く平安時代に京都の岩清水八幡宮、次いで鎌倉の鶴岡八幡宮が創立されその分祀社は全国に約二万五千社に及び広く地域民衆の神として祀られている。未曽有の大東亜戦争の終結を機とし、当社は昭和二十一年(1946)に国家管理離脱のやむなきに至りたるも、同二十七年(1952)新設の神社本庁に所属し現在に至る。古代より厄除開運、産業繁栄、安産子育、交通安全、学業成就等の神として参詣者多く氏子崇敬者の生成発展、諸業の隆盛を導き給う御神徳は宏大無辺である。