基肄城の大礎石、歴史と静寂に浸る。
基肄城大礎石の特徴
基肄城大礎石は、うっそうとした林に囲まれている史跡です。
整然と並ぶ大きな石《礎石》が特徴的な観光スポットです。
自然溢れる環境で歴史を感じられる場所になっています。
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名前 |
基肄城大礎石 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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『基肄城(キイジョウ)大礎石(オオソセキ)』うっそうとした林の中に、整然と大きな石《礎石》が並ぶ史跡です。説明を聞くと・・この大礎石の上に、相当大きな建物が乗っかっていたのかな~と思いますが。周囲があまり整備されているとは・・言えない状況では。理解していないと、この場所自体を見過ごしてしまいそうな感じです。『基肄城(キイジョウ)』は『白村江(ハクソンコウ)の戦い』u003c663年08月u003eの後、唐・新羅(シラギ)の報復を恐れた大和朝廷により築かれた防衛施設だったそうな。倭国は百済(クダラ)との連合軍で臨んだ『白村江の戦い』に大敗した後。太宰府一帯には、水城(ミズキ)と言う防塁を張り巡らせ。ポイントポイントに“山城”を築城し、唐・新羅が攻め入ってくるのに備えました。その一つが『基肄城(キイジョウ)』と言うこと。基肄城が築城された『基山(キザン)』には、〈武装蔵〉や〈米蔵〉〈穀物蔵〉が周辺にたくさん建てられ。“世紀の一戦”に備えようとしたとのことです。(もっとも・・新羅が攻めて来ることは無く)(朝鮮からの侵略は、はるかに時代は下がって2度に渡る元寇になりました)『基山(キザン)』には、いたるところにその痕跡を示す“礎石群”が残され。歴史探訪コースに沿って山歩きすると、その“歴史的遺物”を目にすることが出来ます。残された“礎石群”の中でもっとも規模が大きな物が『基肄城(キイジョウ)大礎石(オオソセキ)』になります。2022年10月に開催された「基山町内の史跡を巡るツアー」に参加して、訪れましたが。『基山(キザン)』にこんなに重要な史跡がいくつもあるのをまったく知りませんでした。(街は『基山(キヤマ)』で、山は『基山(キザン)』)(ちょっと不思議かな~?)しかも、日本史にある“歴史的史実”の一部を為す重要な遺物ではないですか!現在の状況は、大礎石の周囲は植樹された木々が生い茂っていますが。国の文化庁から伐採の許可が出たそうなので。『基肄城大礎石』の〈見学・観察〉がし易いように。大礎石が露わになるように、近々にも伐採し。整備を進めるとの事でした。より〈見学・観察〉がし易くなるでしょう。