歴史深い田坐神社の御朱印。
田坐神社の特徴
住宅地の中にたたずむ由緒ある式内小社です。
柴籬神社で御朱印を頂けるのが魅力的です。
子供の頃の遊び場だった神社の歴史に感慨深いです。
古代より此の地は石川・大和川(現大和川は1704年付け替え)から外れ干魃に苦しむ土地柄古くは崇神・垂仁天皇の御代より依網(よさみ)池・狭山池などが造られ農作を奨励 朝鮮半島との交流が 更に活発となる中 神功皇后の三韓征伐に代表されますように半島情勢への対応を より迅速に行えるよう大和から河内へと政権の基盤を移したのであり まずは食糧確保が第一と仁徳天皇に至り 朝廷直轄農地「依網屯倉」(みやけ)が見られ依羅吾彦(よさみあびこ)一族(750年依羅宿禰を賜姓)が管理を任されていたその屯倉の真っ只中にある田坐神社以前より朝鮮半島内の国々による争いが絶えず激化し 戦火を逃れてやって来る人々 政権側としては 更なる大陸文化 技術の吸収の為 渡来人を広く認め…ここでは絹織物応神天皇の治世 正式に使者を遣わし機織り・衣縫の技術者を招き 欽明天皇が磯城嶋金刺宮に生産拠点を移すまで綿々と受け継がれたそうです仁徳天皇が行幸され 養蚕 製糸 綾織 衣縫 一貫作業を視察されのでしょう それが社名の一説とも謂れ 妃である日向の髪長媛を住まわせたのが大阪市東住吉区桑津の地であり 桑畑が多く河内湾の港があったのが由来とし 感銘を受けられ桑畑を殖やされたのでは?と推測しております祭神の一柱とされる「呉服漢織」(クレハトリ・アヤハトリ)が その技術を伝えた発祥の地とも伝えられています のちに呉服は伊勢衣縫部の祖となり 漢織は飛鳥衣縫部の祖となる特定の人物だったり一般的な技術を指すものだったり 時代とともに漢字表記も異なりややこしいです大阪府池田市にも伝承があり 又 大阪市浪速区の今宮戎神社辺りは その昔「名呉の浜」と呼ばれ大陸からの織女達が降り立った地とされ 往時 朝廷が力を入れていたのがよく分かります 時代が下がり京都の地で秦氏の養蚕 絹織物も見られるようになります※三国時代の呉が滅亡してからも日本の史料において習慣的に「呉」が使用されております延喜式神名帳より先の「日本三代実録」(901年)には862年4月26日従五位下を授かり5月17日官社に列するとあり祭神依羅宿禰呉服漢織八幡神豊宇気毘売神この御祭神も判然としないようですが創祀はやはり「依網屯倉」設置の頃に遡るのではないでしょうか🤔
住宅地の奥にあり、車を停める場所はない。とても綺麗に清掃されていて、明るい雰囲気な神社です。本殿横に掲げられた説明板によると-----田座神社は延喜式内の神社で、三代実録によると、清和天皇の貞観4年(862年)4月26日に無位より徒五位下を授けられ、同年5月17日に官社に列した古社である。古くから村人に八幡神を祀るといわれている。明治5年(1872年)に田井城村の壮社となった。和名抄によれは河内国丹比郡田邑(多無良)にあたり、田の中に存る神、田に坐す神から社名が生れたという。またこの地は、中世に石清水八幡領の田井荘となり、戦乱時には各地に環濠集落や砦ができ、田井城とよばれるようになった。-----
式内小社です。
住宅地の中にあります。周りはひっそりしてます。
柴籬神社にて御朱印が頂ける様になりました!
子供の頃に遊び場にしていた神社だが、改めて掲示板を読んでみるとずいぶん由緒のある神社だったんだなぁ。「田坐神社は延喜式内の神社で、三代実録によると、清和天皇の貞観4年(862)4月26日に無位より従五位下を授けられ、同年5月17日に官社に列した古社である。古くから村人に八幡神を祀るといわれている。明治5年(1872)に田井城村の荘社となった。和名抄によれば河内国丹比郡田邑(多無良)にあたり、田の中に存る神、田に坐す神から社名が生れたという。またこの地は、中世に石清水八幡領の田井荘となり、戦乱時には各地に環壕集落や砦ができ、田井城とよばれるようになった。」
| 名前 |
田坐神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-334-1550 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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田坐神社(たざじんじゃ)。大阪府松原市田井城。式内社(小)、旧村社。【祭神】依羅宿祢、呉服漢織の女神 または 豊宇気毘売神資料によると、明治41年3月23日村社柴籬(しばがき)神社に移転合併したが、大正14年春に田井城地区民の手により復社したという。なお「柴籬神社」には現在も境内社として「田坐神社」が鎮座しており、二ヶ所で「田坐神社」が鎮座している形となっています。雄略十四年に呉織漢織に携わる人々が呉の国より渡来、住吉浦に泊り、勅して丹比の田坐の地に置かれた。この地で桑を植え蚕を飼い絹糸をつくる。 依羅宿祢がこれを管す。とある。新撰姓氏録には依羅宿祢は日下部宿祢同祖 彦坐王の後、依羅連は饒速日命十二世孫、壊大連の後也 と出ている。神社境内に立派な由来を彫った石碑が建っている。これによると仁徳天皇の行幸の際、綾織を見られてその折り殿舎仮宮のゆわれより田坐と称す。我が国の養蚕製糸の発祥の地と記載されている。とあります。