大戦の歴史を感じる 重巡青葉の記念碑へ。
巡洋艦青葉終焉之地の特徴
軍艦青葉の大破した場所に立つ記念碑があり、戦争の歴史を感じられます。
松山行きの高速船からも確認できる、ひっそりとした新しい記念碑です。
警固屋4丁目からのアクセスが便利で、周辺には釣りが楽しめる岸壁もあります。
新しく立派な記念碑がひっそりと。マップで見ないと分からず、いつも通り過ぎてたし、高架車線では尚更見えません。通り過ぎた先の警固屋高架橋下交差点には、反対方向に看板が出てますが、一方通行なので要注意。反対車線でぐるっと回らないと行けませんが、高架橋下の駐車スペースは広め。
警固屋4丁目鍋桟橋で下車しましょう。案内板が設置されています。道なりに5分で到達。ここが彼女の終焉の地です。
鍋・警固屋沖が埋め立てられ、警固屋体育館を過ぎ警固屋4丁目から警固屋ドックまでバイパス道路(音戸大橋・音戸方面の間)が開通。次に第二音戸大橋・渡子へ通じる新道路(高架道)が開通。石碑に呉方面から行くには、高架道には乗らず、高架下の道路(一方通行)を走ります。高架下に《巡洋艦青葉終焉之地》の石碑はあります。石碑前の道路に数台の駐車場所はあります。今は埋め立てられ道路が走っていますが、昔は海です。昭和20年7月24日と28日のアメリカ爆撃機の熾烈な爆撃を受け《巡洋艦 青葉》は大破着底しました。青葉が着底したその場所に石碑は建てられています。巡洋艦青葉に乗船経験を有する、中曽根康弘元内閣総理大臣のご揮毫になる石碑。
わかりにくい場所戦前戦中は海 今は埋立られて陸中曽根元総理が過去に乗艦していた。
一見、自動車ではアクセスしにくそうだが、よく見るとすぐ近くに駐車できる場所がある。一等重巡洋艦青葉(185.2m、9000t)は1927年9月27日就役。幾多の激戦においての奮闘ぶりから「ソロモンの狼」と称せられる。レイテ沖海戦にて損傷、呉工廠に放置されているところ呉軍港空襲(米軍艦載機約950機)に会う。防空砲台として奮戦するも1945年7月28日についに被弾、右傾着底。数々の英霊方に敬礼。
車で走ってると普通に通り過ぎてしまうかもしれません…
松山行きの高速船から遠望しました。今回の豪雨災害に会われた方に心よりお見舞い申し上げます。一日でも早く、あの美しい瀬戸内と呉の風景が戻りますように。
この場所は道路辺りに位置していて、車で立ち寄る事が出来ません。どうしても寄りたい時はバイクを近くに止めるか、歩いて行くしかありません。車の止める所が無いのでご注意を!
この場所の前にある岸壁はいろんな魚がよく釣れます。ファミリーフィッシングにも最適です。近くに有名なうどん屋さんや釣具店もあります。
名前 |
巡洋艦青葉終焉之地 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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碑があります最近は周囲の雑草もなくなり訪れやすくなっております駐車場が無いので 周辺の店舗に ご迷惑かけますが そこから少し歩けば行けるので お許しください戦争の歴史を 感じてください。