歴史を感じる己斐の隠れ墓。
植木屋次郎右衛門の墓の特徴
西国街道沿いに位置し、歴史めぐりの一環として訪れるのに最適です。
コンクリートブロック塀に囲まれた静かな雰囲気の墓地です。
元和5年から続く植木屋次郎右衛門の歴史を感じられる場所です。
細い道沿いのマンションの前に突如ある、コンクリートブロック塀に囲まれた墓地の一番奥にひっそりと建つお墓です。子どものころ宮島線の電車に乗っていると、古江駅あたりから己斐駅までのエリアでは盆栽や植木の苗を育てている家を車窓からたくさん見ることができました。現在もこのエリアには園芸店がたくさんありますが、この地域に花と植木を普及させたのが、この植木屋次郎右衛門なのだそうです。初代浅野藩主の浅野長晟が広島に入府したときに、大阪池田の牡丹名人の次郎衛門を連れてきたと言われています。その子供が代々「植木屋次郎右衛門」を名乗っていたそうです。このお墓の横にある看板によると、白神社の近くに住んでいたその津国屋次郎右衛門が、園芸の好適地であるこの地へ引っ越してきたとあります。その息子の初代植木屋次郎右衛門がこの地を選んだ、という説もあります。大阪から来た津国屋次郎右衛門は、その後大阪に戻ったらしいです。ですので、これはその息子にあたる初代植木屋次郎右衛門のお墓なのだと思われます。大阪から最初の次郎右衛門が広島に来てから400年経つ今も、園芸の文化がこの地に根付いているのはすごいな、と思いながらお参りしました。
己斐の歴史めぐり西国街道(旧石内道)の歴史めぐりNo.12 植木屋次郎右衛門の墓。
| 名前 |
植木屋次郎右衛門の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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元和5(1819)年浅野長晟の広島入封に従って来た池田(大阪府池田市)の植木職、牡丹屋の出の「津ノ国屋次郎右衛門」は己斐の「上堤かみつつみ」に住居をもち、やがてその子は定住して、「植木屋次郎右衛門」を名乗った。この人を「植木屋」の第一代とし、己斐の植木・盆栽作りの元祖としている。