体感せよ、葛城市最大の前方後円墳!
屋敷山古墳の特徴
公園内には古墳や城の歴史が隠されている場所です。
駐車場が完備されているためアクセスも便利です。
墳丘は中世以降の城砦としての利用が確認できます。
5世紀中ごろに造られたと推定される葛城市内で最大の規模(全長約135メートル)の前方後円墳。●平安時代から室町時代にかけて布施氏の「里の館」(平時の居館)として使用される。●江戸時代関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601年)には桑山一晴が移封され、新庄藩2万石、4代にわたって藩政を施く。天和2年(1682年)、永井直圓が新庄に入り、文久3年(1863年)まで7代にわたり、180余年間居城。●近代昭和47年(1972年)、国の指定史跡となり、屋敷山公園として整備され、現在の姿となる。
令和6年4月29日見学第7回万葉ウォーキングにて5世紀中期と推定される全長約140mの前方後円墳で、昭和47年(1972)に国の指定史跡とされ49年に史跡公園を整備するため発掘調査が行なわれた。墳丘上の埋葬施設は竪穴式石室で内部に竜山石の長持形石棺があった。石室の蓋石も同じ兵庫県高砂市産の竜山石が使われていた。古代豪族「葛城氏」に関わる人物の古墳と見られ、この辺りが江戸時代初期には新庄藩の桑山氏の陣屋(屋敷)として使用されていたことが屋敷山の由来となっている。
公園の中には古墳や城や屋敷があったという事か。古墳を写真で説明しようとすると看板か竪穴式石室の天井石ぐらいかなぁ。葛城市歴史博物館に長持ち式石棺の蓋が展示してあったなぁ。それに、馬型埴輪の足の部分だけ展示品の中にあった。
墳丘自体は中世以降に城砦として使用されていたためかなり破壊されています。とはいえ公園として整備されており、墳丘にも登れますし、東側の展望も開けているため景色も良いです。地上にいると全くわからなかったですが、航空写真で見ると古墳のすそ部分が前方後円墳のカタチがわかるように生垣が植え込みされているのがよくわかります。
駐車場があります。古墳に登れました。古墳案内板がありました。前方後円墳だそうです。
| 名前 |
屋敷山古墳 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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前方後円墳の大きさは、実際に墳丘に登ると体感できます。ただ、城としても利用されたようなので、古墳の形状なのか、城の切岸等加工されたものなのかは判然としません。石棺の蓋石は、後円部裾にあります。駐車場は道路向かいに公園駐車場があり、古墳及び公園へは、地下通路で行けます。