古社の静寂、蘇羅比古神社へ。
菅原神社の特徴
宝暦二年に太宰府天満宮から勧請された歴史ある神社です。
蘇羅比古神社との関係がある式内社としての重要性があります。
アピールが控えめながらも独自の魅力を持つ古社です。
切妻造妻入り 一間×一間 桁行二間 角柱 瓦葺 幣殿接続 土台建ち。
小さな天満宮です。道がかなり狭く、車で訪れる際には注意が必要です。
蘇羅比古神社(川西)を探すため、まずこの神社にお参り。天満宮の社額に梅鉢なので菅原神社で間違いなさそう。拝殿正面の絵馬は上位から順に、・梶「原」と「佐」々木の宇治川先陣争?・加藤清正と佐久間盛重の賤ヶ岳の戦い・両者弓矢の一騎討ち…前九年の役?本殿は尖り切妻屋根で妻入縁付の大社風。当社の勧請は江戸中期だが、境内に「本社移転拝殿新設」の碑があり、境内摂社の多くが本村の蘇羅比古神社境内社と共通することから同社との関連も想定されます。(「六社移転碑」と「神田明神」は誤読と判明したのでこの一文は修正しました)但し、手前の猿田彦大神は寛政4年、東側の鳥居の延長線上の石鳥居は明和3年で共に勧請以降であるため参考にならない。(この鳥居は天満宮の御旅所であろう)
旧記によると宝暦二(1752)年、梅木藤四郎をして太宰府天満宮より勧請せしめる。
式内社やその論社であれば、通常は神社側がもっとアピールしているものだが、ここにはそれが全くなかった。鳥居に「祈皇運万世」、拝殿に「天満宮」と梅の神紋、近くの碑は「猿田彦」だし。(2021年6月再訪、写真2枚追加)上記掲載の前回参拝は2年以上前だったので、確認のため再度現地訪問してみたが、夕立にも見舞われ、蘇羅比古に繋がるような新情報は得られなかった。ここは県神社庁の名簿に載る「菅原神社(川西町347番地)」と思われるが、蘇羅比古論社とされる小祠の住所(川西町585)も遠くはなく、当社向かって右手の木の鳥居とそこから山林への立入を制限する住民設置の柵の奥には何かあるかもしれない。関係者の解明を待ちたい。
🅿あり?神社前に停めれるものの、細道から曲がって入るには、ほんの少しだけ運転技術と度胸が必要かもしれない。
式内社の蘇羅比古神社とされる古社。おおよその場所は対岸の国道からわかりましたが、車での近づき方がわかりにくい感じでした。川沿いの水田の奥にあり、景色は古代と同じかもしれません。
| 名前 |
菅原神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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式内論社の庄原市川西町585の蘇羅比古神社を探してる人が多いので場所を載せときます。(34.8881908, 133.0720721)最近、過疎化の影響で菅原神社に合祀したそうですが建物はあります。