武田氏の歴史、馬出の遺構。
諏訪原城 東内馬出の特徴
馬出の美しい遺構があり、当時の状況がよく分かる場所です。
二の曲輪の南東側に位置し、歴史を感じることができます。
興味深い遺構が保存されており、城の魅力が詰まっています。
コチラも遺構が残っています。草木が生い茂っていない時期にまた来たいと思います。
二の曲輪の南東側の少し内側にある馬出。現在でも綺麗に残っています。
馬出がきれいに残っていて、当時の状況が良く分かります。諏訪原城には、いくつもの馬出が残っています。攻撃的な城であったことが、見てとれます。
| 名前 |
諏訪原城 東内馬出 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0547-46-2844 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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東内馬出跡は、本曲輪の南東側に設けられた馬出で、武田氏時代の諏訪原城の姿を知るうえで特に重要な遺構です。平成16〜27年度の発掘調査により、本曲輪・東内馬出・東馬出の三か所から武田氏時代の遺構が確認され、現在では 東内馬出と東馬出が一体となった出丸として機能していた ことが明らかになっています。武田氏時代、この一帯は南端へ突き出した三角形の出丸で、南北・東西とも約50メートルの規模を持ち、幅約7メートル・深さ約4メートルの堀と土塁によって厳重に守られていました。城の正面だけでなく側面から迫る敵にも対応する前線基地として築かれたもので、武田流築城術の特徴が色濃く表れています。発掘調査では、この周辺から 53個もの鉄砲玉 が出土しており、天正3年(1575)の徳川軍による攻城戦で激しい戦闘が繰り広げられたことを裏付けています。武田軍はこの出丸で徳川軍を迎え撃ちましたが、ここが最初に突破されたことで、本曲輪への攻撃が本格化したと考えられています。現在は静かな史跡となっていますが、東内馬出跡は「武田氏が築いた諏訪原城」の姿を今に伝える貴重な場所です。後に徳川家康が丸馬出や曲輪を大幅に増築して城を発展させましたが、その原点ともいえるのがこの東内馬出でした。諏訪原城を歩く際は、武田氏のコンパクトな陣城が、徳川氏によって巨大な要塞へと進化していく過程を思い浮かべながら見学すると、一層興味深く感じられます。