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名前 |
三好長治終焉の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
「松茂町:三好長治終焉の地」2025年1月にバイクツーリングで立ち寄りました。三好長治は、戦国時代から安土桃山時代にかけての阿波国の大名です。勝瑞城に拠点を構えて、阿波・讃岐・淡路三国の政治を行い、また畿内で戦う三好三人衆を助けて、松永久秀・織田信長に対抗しました。さて、元亀3年(1572年)に、家臣の篠原長房と不仲※になり(※政務を正し小少将の不倫を諌めたため怒りをかったと言われている。)、討伐。それが自らの政治力を低下させました。また、阿波の民衆をすべて日蓮宗に改宗させようとした「法華騒動」をおこし、民心の反発をかいました。なお、この混乱は、隣国・土佐国の長宗我部元親による阿波侵攻を誘発、海部城や大西城などが落とされるきっかけとなりました。天正4年(1576年)秋ごろ、守護・細川真之(三好長治は異父弟になる)が本拠の勝瑞を出奔してしまいます。長治は真之を討つため、那東郡荒田野へ出陣しましたが、一宮成相や重臣の伊沢越前守が離反したため敗れます。その後、篠原長秀の居城・今切城に籠もるのですが、一宮勢の攻撃により追われ、同年12月27日、板東郡別宮浦(吉野川の川口付近)で自害します。辞世の歌は、「三好野の 梢の雪と 散る花を 長き春(長治)とは 人のいふらむ」です。