天皇家の塚で歴史を感じる。
上臈塚の特徴
由緒ある天皇家の塚は歴史を感じる場所です。
上臈塚は天皇家ゆかりの名所として知られています。
静岡県浜松市で由緒を誇る史跡の一つです。
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由緒ある天皇家の塚。
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| 名前 |
上臈塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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上臈塚(じょうろうづか)所在地 浜松市天竜区船明2619訪問日 2023/6/21約600年前に、この地で自害した女性が葬られた場所らしい。長慶天皇の第一皇女であった「綾姫」だったとされている。塚は囲りが、約30歩墳墓は、長径21.8m・ 短径9m・ 高さ3.6m「昔ばなし」南北朝時代も終わりの頃、皇室祈願所となっていた光明寺に身なりの良い若い女性とその供侍が訪れ、暫く寺に参籠したいという。寺の者は、それなりの身分相応の者であろうと、それに応じることにした。何日間かは、何事も無く過ぎたが、ある日、一人の武者が寺にやって来て、若い姫とその供侍の二名が立ち寄っていないか尋ねてきた。そして、それらしき者が参籠している事を聞くと、急ぎ戻っていったのである。翌日、大勢の武士が光明寺に押し掛けてくると、姫と供侍が参籠していたお堂に押し入った。しかし、既に二人はその場を退去しており、寺の者への感謝をしたため書き置きが残されているばかりであった。それから数日後、光明寺の麓である船明の薬師堂で、姫は自害してはてていた。もはや逃げおおせぬと観念したのであろう。憐れに思った村人は墓を築き、一人残された供侍は、その墓を守るように七日の間いたが、やがて姫の後を追うように自害したのであった。村人は、この侍のためにも墓を築いた。結局、この主従が何者であったかは分からずじまいであったが、村人は、おそらく追手の武士達は北朝の手の者であり、姫は南朝の身分ある者の子女ではないかと推察した。そして、いつしかこの姫が長慶天皇の第一皇女・綾姫とされ、言い伝えられている。この姫の墓とされるのが「上臈塚」である。なお、以前は供侍の墓とされる「下賤塚」も近くにあったが取り壊され現存しないという。当時の光明寺は、標高539mの光明山に置かれていました。追手の目を盗んで船明まで逃げて来たのでしょうか?