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名前 |
円福寺茶堂地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
江戸時代まではこの辺りに圓福寺と云う理源大師様が創建された古刹がありました。この圓福寺のあったこの辺りを御茶園と云う集落があり、その由来は大同元年(806年)に弘法大師空海様が唐より持ち帰ったお茶の種をこの地に播かれたれ生育方法、製茶の仕方から潅水用の井戸まで掘られから始まります。以来、圓福寺の僧侶や地元民により維持管理されて来た孫々の弘法茶は金毘羅街道が横を通っていたので参詣者や旅人に振る舞われたり圓福寺で使われていたそうです。明治初期廃仏毀釈により圓福寺は廃寺と成りましたがお茶の木は茶堂跡の西側で現在も地元の一軒の民家が栽培管理されています。口伝によると弘法大師がお茶の木の栽培を授け井戸を掘らし茶堂を建立し旅人の便をはかったと云うが明治十三年に老朽により倒壊しました。そのお堂の中に安置されていた地蔵尊が風雨にさらされているのを地元の方々が憂い大正十一年に約70m西側に移転再建しました。因みに地蔵尊には享保十六(1731年)年辛戌吉日とあります。また茶堂で使われていた茶釜は住吉公民館にて保管されています。柔和なお顔のお地蔵様・・・多くの旅人を見守って来られてたのでしょうね。