高知城の東南矢狭間塀を体感!
天守東南矢狭間塀の特徴
本丸の東南にある漆喰の矢狭間塀は圧巻です。
銃眼が15ヶ所ある構造は見応えがあります。
延長61.2mの長さが歴史を感じさせます。
高知城の天守東南矢狭間塀は、天守の東側から南側にかけて設けられた土塀で、本丸を守る防御施設の一つです。現在の塀は、1727年(享保12年)の高知城下の大火で焼失した後、高知城再建事業によって復旧されたもので、天守や懐徳館(本丸御殿)、詰門、多聞櫓などとともに国の重要文化財に指定されています。江戸時代中期の姿を今に伝える貴重な城郭建築であり、高知城の本丸防御を理解するうえで欠かせない存在です。塀には一定間隔で矢狭間(やざま)が設けられています。矢狭間は弓や鉄砲を構えて外敵を迎え撃つための開口部で、外側から内部が見えにくい構造になっており、防御側が有利になるよう工夫されています。厚く塗り込められた白漆喰の壁は防火性・耐久性に優れ、実戦に対応しながらも美しい景観を保つ高知城らしい造りです。天守東南矢狭間塀は、高石垣や天守、黒鉄門などと連続して本丸の防御線を形成していました。敵が本丸へ迫った際には、狭間から攻撃を加えることで侵入を阻止する役割を担い、高知城が実戦を強く意識して築かれた城であることを示しています。天守の壮麗な姿だけでなく、その周囲を囲む塀にも高度な防御技術が生かされている点は、高知城の縄張りの巧みさを理解するうえで重要です。天守を見学する際には、ぜひこの天守東南矢狭間塀にも目を向けてみてください。白漆喰の壁に整然と並ぶ狭間や、石垣との調和を眺めることで、江戸時代の城郭建築の美しさと、防御を重視した設計思想をより深く感じることができるでしょう。
本丸を囲む矢狭間塀の一つです。国の重要文化財に指定されています。
現存 さまを みてください。
本丸の東南に位置する漆喰の矢狭間塀で、延長は61.2m、銃眼は15ヶ所あります。
| 名前 |
天守東南矢狭間塀 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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「高知市:高知城内 天守東南矢狭間塀」2026年7月にバイクツーリングで立ち寄りました。高知城の本丸南面を強固に画する「天守東南矢狭間塀」は、城郭の極めて高い実戦能力を現代に伝える重要文化財です。享保12年の大火によって天守などが焼失した際、本丸の防衛力を再構築するために宝暦3年(1753年)にかけて再建されました。延長約61メートル(たぶん)に及ぶこの土塀は、直線の死角をなくすために屏風のようにカギ状に折れ曲がる「横矢ひずみ」という高度な防備構造が最大の特徴です。壁面には敵を狙い撃つための弓矢や鉄砲の「銃眼(狭間)」が15か所設けられているほか、物見格子窓や石落しも備わっています。ところで「丸」や「三角」の穴は、いずれも射撃口ですが弓か銃かによって使い分けがあります。●長方形(矢狭間)弓矢を射るための専用口で「矢狭間(やざま)」と呼びます。武士が立った状態で弓を構えやすいよう、床面からやや高めの位置(約75cm)に配置されているのが特徴です。●丸・三角・正方形(鉄砲狭間)これらはすべて鉄砲用の穴です。鉄砲は片膝をついてじっくりと的を狙い撃つため、矢狭間よりも低い位置(床面から約45cm)に設置されています。形状ごとの戦術的な使い分けについては今なお明確な結論が出ていませんが、視覚的に敵を惑わせる効果や、建築時の枠組みの組みやすさ(丸は筒型、三角や四角は木箱の枠を使用)が関係していると考えられています。