千年杉守る加知弥神社の御利益。
加知弥神社の特徴
927年に延喜式神名帳に載る、由緒ある神社です。
樹齢千年杉の神木が境内に生息し、壮大な雰囲気を醸し出しています。
武田高信や池田光政など歴史的な人物とも関係が深い神社です。
加知弥神社かちみじんじゃ鳥取県鳥取市鹿野町寺内152祭神彦火火出見命鵜萱葺不合命玉依姫命昔は勝宿大明神と呼ばれていた。
長男が七五三の時、将来は政治家になるって予言していただきました。毎年、初詣しております。普段は静かな神社です。
延喜式内社 気多郡の政治的中心地であったらしく、武田高信、吉川元春、亀井茲矩、池田光政などが関わっているという。江戸期も藩内最高の社領高を誇ったらしく、幕末の当社神官飯田氏は国学者、歌学者として有名で因伯地方の神職の中心だったそうで。そういった歴史を知りここを巡ると歴史の重みが感じられて良い。
「加知弥(かちみ)神社」は千年を越える偉大な神社で、その証しに樹齢千年杉の神木が境内に生息しています。見上げるとなんと人の存在は小さなことでしょうか。 中世から戦国時代にかけて武将達が寄進をしていますが「加知弥神社」には1580年(天正8年)9月1日吉川元春が(因幡国勝宿大明神)へ戦勝を祈念し社領を寄進との寄進状が残っています。この年は羽柴秀吉が播磨、但馬を平定し鳥取城主山名豊国を降伏させて、いよいよ因幡へ進出して中国地方の覇者毛利家を屈服させようとこの年6月に姫路から出陣しています。 吉川元春はこの年7月に伯耆の国、末吉に着陣し東進を続け9月1日付け寄進状を「加知弥神社」に残します。こうした緊迫した時代の推移を神社は千年という時の流れの中でじっと見据え続けています。 今日は近くの地区公民館のグランドで子供の祭があり、多くの親子連れや地区の方が楽しんでいます。賑やかな声を聞きながら境内に入りますととたんに境内の生い茂る樹木で外の音がかき消されて野鳥のさえずりに変わりました。拝殿の前には一足の白い草履が揃えてあり、拝殿の両扉が開けられています。人の気配はないと思っていましたが左側に神職さんが正座して呼吸を整えられています。少ししてから5人家族が訪れ拝殿に上がりました。太鼓が叩かれて祝詞、神事が始まりました。 その後も子供祭を楽しんだ親子連れが拝殿前で手を合わせています。日常生活の中に神社の存在が自然に根付いています。 拝殿横にはお稲荷様が祀られ、各村毎に手を合わせてお祈りをするように横一列状態で設けてあります。素朴な昔ながらの趣を感じます。「加知弥神社」は今もこれから先もずっと人の歩みと共にこの地に鎮座されます。
いいところです。神徳が感じられます。
名前 |
加知弥神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0857-84-2430 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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創建年代は不詳ですが、927(延長5)年に作られた「延喜式神名帳」にのせられています。 勝見郷の鎮守として敬われ勝宿(かちしゅく)大明神といわれていました。武将の崇敬が厚く、吉川元春の祈願状・寄進状(昭和32年鳥取県指定文化財)や池田光仲寄進状(昭和59年鳥取市指定文化財)などのほか、鹿野城主亀井氏や松平輝澄の筆跡と伝えられる古文書(昭和59年鳥取市指定文化財)が残されています。