相撲の元祖、古墳の杜。
大野見宿禰命神社の特徴
相撲の元祖、野見宿禰命を御祭神とする神社です。
約2000年間、タブノキや杉の大木が生育し守っています。
古墳のような小高い丘に鎮座し、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
この辺りに大野見城と言うものがあったらしいが、神社しか見当たらない。相撲発祥の神社だそうです。
鳥取南バイパスを通ると、古に間違いなく何かがあったと想像させる杜があり、その中に鎮座しています。参道の階段を登ると市街地とは思えないような空間に包まれます。
相撲の元祖と云われる、野見宿禰命を御祭神とする神社です。境内に御祭神の墳丘墓が有り、古代の墳丘墓をそのまま祀り続けているものと思うので、弥生時代から続く歴史ある神社といえるでしょう。現代でも、大相撲関係者の参詣があるようですが、鳥取由来の横綱や役力士も参詣しているようです。由緒ある神社ですが、駐車場と社務所も見当たらず、やむなく近隣の店舗に車を置かせてもらい、買い物ついでに参詣となりました。県道から直登する石段は急坂で、脚に障害があると厳しいと思いました。
古墳のような、コンモリした小高い丘に鎮座する神社です。
延喜式内社で郷社土師氏の祖神たるゆえんで参詣者が土を盛ってこの丘になるというが本殿裏に古墳があるのでそれが祭神でしょう。かつて鳥取平野が海だったころはさぞかし目立つ小山であったはず。神饌幣帛料供進神社氏子戸数五十八戸(鳥取県神社誌)
水木しげる記念館に行った時に、全国各地に現れた妖怪の逸話があり、鳥取市で観るとこの神社に現れたとの妖怪が、紹介されており、1年半前にこの神社の50メートル先に引越してきて、お相撲さんの手形等があり、気になって居ましたが、由緒あるお相撲さんの始祖、神が祀ってあるようで来てみました。ひっそりとしたたたずまいで小さな神社なので気をつけて見ないとわからない程。小さな小山、森になっていてどうも古墳もあるようで、天然記念物にもなっているようだ。
大野見宿弥命神社おおのみのすくねのみことじんじゃ鳥取県鳥取市徳尾80 祭神大野見宿禰命天穂日命14世の孫垂仁天皇の時大和国に上り当地の当麻蹴速と相撲勝負し勝つ故に相撲の神様、元祖となる。
神社社叢に入った途端にタブノキ、榊、杉の大木等があちらこちらに生育して神社を約2000年間守り続けています。圧倒されて言葉がありません。神社拝殿一つ手前の一段低くなった広場において大野見宿弥命(おおのみすくねのみこと)が相撲を取った場として(因幡民談記)に記録があるそうです。相撲の始祖として大野見宿弥命は崇敬されており、この神社の祭神です。お相撲さん、力士の聖地です。どうりで境内の入口には鳥取県最強の高校相撲部部員を筆頭とした看板が立てられています。横綱双葉山、同琴桜がこの神社へ参詣されたそうです。本殿は1858年(安政5年配)、拝殿は昭和16年に再建され現在に至ります。創建は2000年前以上です。境内の木々の葉ずれの音は正真正銘2000年の歳月を奏でています。
神社社叢に入った途端にタブノキ、榊、杉の大木等があちらこちらに生育して神社を約2000年間守り続けています。圧倒されて言葉がありません。神社拝殿一つ手前の一段低くなった広場において大野見宿弥命(おおのみすくねのみこと)が相撲を取った場として(因幡民談記)に記録があるそうです。相撲の始祖として大野見宿弥命は崇敬されており、この神社の祭神です。お相撲さん、力士の聖地です。どうりで境内の入口には鳥取県最強の高校相撲部部員を筆頭とした看板が立てられています。横綱双葉山、同琴桜がこの神社へ参詣されたそうです。本殿は1858年(安政5年配)、拝殿は昭和16年に再建され現在に至ります。創建は2000年前以上です。境内の木々の葉ずれの音は正真正銘2000年の歳月を奏でています。
| 名前 |
大野見宿禰命神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
大野見宿祢命神社(おおのみすくねのみことじんじゃ)。鳥取県鳥取市徳尾。式内社(小)、旧郷社。【祭神】野見宿禰【関係氏族】土師部資料によると、野見宿禰を祀る。天穂日命の14世孫で、出雲に住し、第11代垂仁天皇7年7月、詔を承けて大和国に行き、当麻蹴速と日本初の相撲を行った。垂仁天皇28年10月、皇后日葉酢媛命が薨去。これに対して、野見宿禰は旧例の殉死に反対し、埴輪の制作を自身から買って出て、土師姓を賜った。菅原氏も土師氏であり、菅原道真にとっても、野見宿禰は祖となる。当社の創祀は不詳。当地は、御祭神が下賜された所領の一つで、『倭名類聚抄』には「因幡国高草郡野見郷」とある。生前の御祭神が当地に社殿を築いたという伝承が残る。もとは、天穂日命を祀ったものか。また、当地周辺はもともと海で、鎮座地は当時は島だった、との説がある。境内地の頂上、本殿の北西方の上段に円墳があり、東方下段に副葬遺跡がある。往古より野見宿禰の墓所としても尊信された。貞観8年(866年)10月8日、因幡国無位大野見宿根神に従五位が授けられた。江戸時代になり、池田光政が鳥取城に32万石で転封された元和3年(1617年)から明和4年(1767年)まで、数度にわたって社殿の造営がなされている。明和6年(1769年)の『高草郡神社御改帳』では、「大野見大明神」と称されている。現在の本殿は安政5年(1858年)5月に建てられたもの。明治元年(1869年)に郷社に列し、天穂日命の後裔、つまり野見宿禰の後裔でもある出雲大社大宮司千家尊福は明治10年(1877年)7月、当社を参拝している。明治40年(1907年)に神饌幣帛料供進神社に指定された。大正7年(1918年)8月、幣殿と拝殿が改築された。境内にはシイ・タブ・モチの木から海浜植物のトベラに至るまで繁茂し、植物生理学上からみて貴重な原生林で、「大野見宿禰命神社社叢」として、国の天然記念物に指定されている。とあります。