鳥取城で過ごす歴史の深み。
吉川経家公像の特徴
鳥取城跡をバックに堂々とした吉川経家公の銅像です。
羽柴秀吉軍との籠城戦を耐え抜いた歴史的なスポットです。
市営武道館の前に位置し、近隣観光と一緒に楽しめます。
元々鳥取城主でもなかったが援軍として入城。秀吉の苛烈な兵糧攻めに耐え鳥取城内は地獄絵図になり、降伏。巻き込まれた形だと秀吉も命までは求めなかったが、全責任を取って切腹。鳥取城背景に寡黙だが実直さが伝わる像。
兵糧攻めで何かと有名な吉川さん。凛々しい表情からは、現代の、世知辛い世の中に対し、怒りを表しているのか。はたまた、その行く末を心配し、案じているのか…そんな表情で見守って下さっていると、勝手に想像し、眺めいるのでありました~
天下統一を目指した織田信長は、1580・1581年(天正8・9年)の2度にわたり羽柴(後の豊臣)秀吉を総大将とし、毛利方の最前線であった鳥取城を攻めました。2度目の城攻めの際、籠城したのが、吉川経家(きっかわつねいえ)です。
鳥取城跡へお越しになった際は、立ち寄って頂きたい場所です。
清々しく描かれてますが35歳にて4人の子供たちを遺して自刃とは、さぞ無念だったのでは?と思いを巡らせ銅像を見入ってしまった。それよりこの場所ではうっかり見過ごしてしまいそうです。
鳥取城のお堀・石垣を背に建てられています。
勇ましい姿です!
吉川経家もそうです。別所長治もそうです。人を助けるために若くして自らの命を断つ判断はできません。
説明文を読むと、男気溢れるお殿様でしたね。
名前 |
吉川経家公像 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0857-22-3318 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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秀吉の中国攻めで鳥取城に派遣された吉川経家公。ある意味貧乏くじを引かされた状況でも首桶を持参して死を覚悟し入城。山名豊国の馬鹿家臣のお陰で兵糧が僅かしか残ってなく籠城の末に落城、経家は助命されたが本人が拒否して切腹…家族宛に何通か手紙を書いているが、子供には読めるようにと平仮名で書いてるのがすごい。