鳥取城跡で感じる、吉川経家の武士魂!
吉川経家公像の特徴
鳥取城跡をバックに堂々とした吉川経家公の銅像です。
羽柴秀吉軍との籠城戦を耐え抜いた歴史的なスポットです。
市営武道館の前に位置し、近隣観光と一緒に楽しめます。
山名は兎も角、江戸期の藩主でもなく吉川なんですね。
秀吉の中国攻めで鳥取城に派遣された吉川経家公。ある意味貧乏くじを引かされた状況でも首桶を持参して死を覚悟し入城。山名豊国の馬鹿家臣のお陰で兵糧が僅かしか残ってなく籠城の末に落城、経家は助命されたが本人が拒否して切腹…家族宛に何通か手紙を書いているが、子供には読めるようにと平仮名で書いてるのがすごい。
吉川経家は、民と兵の命を救うため、自らの命を絶つことで責任を取ることを決意し、開城後に切腹して果てました。吉川経家のこの勇敢な決断は、後世に彼の名を高く評価され、多くの人々に敬愛される存在となっています。この像は、鳥取城に入る前にあります。鳥取城を背にして堂々とした姿で立っています。
元々鳥取城主でもなかったが援軍として入城。秀吉の苛烈な兵糧攻めに耐え鳥取城内は地獄絵図になり、降伏。巻き込まれた形だと秀吉も命までは求めなかったが、全責任を取って切腹。鳥取城背景に寡黙だが実直さが伝わる像。
兵糧攻めで何かと有名な吉川さん。凛々しい表情からは、現代の、世知辛い世の中に対し、怒りを表しているのか。はたまた、その行く末を心配し、案じているのか…そんな表情で見守って下さっていると、勝手に想像し、眺めいるのでありました~
吉川経家は石見吉川家の嫡男で毛利氏の家臣。秀吉の中国討伐軍が迫る中鳥取城の援軍に赴いた。当時の城主は山名氏だったが逃亡したため経家が実質大将として秀吉と対峙。鳥取城は堅固な山城だったため、秀吉方は兵糧攻めを仕掛け、経家は4ヶ月間籠城したが力尽きた。降伏後、秀吉は経家の奮闘を褒め領国へ帰還することを許したが、経家は潔しとせず責任を負って切腹して果てた。吉川経家の肖像画は現存していないため、この像を作るにあたり、子孫の顔を参考にしたと言われている。
天下統一を目指した織田信長は、1580・1581年(天正8・9年)の2度にわたり羽柴(後の豊臣)秀吉を総大将とし、毛利方の最前線であった鳥取城を攻めました。2度目の城攻めの際、籠城したのが、吉川経家(きっかわつねいえ)です。
鳥取城跡へお越しになった際は、立ち寄って頂きたい場所です。
清々しく描かれてますが35歳にて4人の子供たちを遺して自刃とは、さぞ無念だったのでは?と思いを巡らせ銅像を見入ってしまった。それよりこの場所ではうっかり見過ごしてしまいそうです。
| 名前 |
吉川経家公像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0857-22-3318 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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吉川経家公の像になります。秀吉の鳥取城侵攻に対して籠城頑張った末に切腹して民を守る姿に敬意を表して設置されたものでしょうね。