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名前 |
市明橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
市明橋(いちみょうばし)は、「市」と「明神」という2つの集落をつなぐ、三篠川に架けられた橋であることから、この名前がつけられたと推察される。この橋を右岸側から左岸側に渡ると、神ノ倉山に正対しているように感じる。現在の橋は、昭和31(1956)年竣工。橋長62.7m、幅員2.5m。コンクリート製。平成30年豪雨災害で流木等により橋脚に大きな損傷を受け、橋げたにずれが生じてしまったため、一時通行止めとなっていたが、その後補修工事を経て復旧している。橋脚の1本が真新しくなっているが、橋げたは従来の部位を再利用したため、これまでと違和感を感じさせない仕上がりとなっている。昭和42(1967)年以前には、右岸側に移転前の小学校が建っており、当時の小学校に通学していた人たちには小学校とともに思い出に残る橋であったようである。また、時代は定かではないが、以前の橋は現在よりも上流に位置していたようであり、地元の郷土史には以下のような記述が残されている。「橋と言うのもおこがましいぐらいの極めて粗末なもので、板を渡しただけの低い橋であった。それは、大きな石を三つ四つ積み重ねたり、竹の蛇籠に石を詰めて作った橋脚と言う簡単なものであった。子供の頃川で魚を取ったり、橋に上がって板の中程に立って二~三人で体の重みを利用し弾みをつけゆすって遊んだ。」(参考資料)「ふるさと井原の探訪」井原郷土史同好会編、「会誌ふるさといばら」第7号・井原郷土史同好会、「終戦前後と今の井原市 商店街図」井原郷土史研究会。