謎の石堂で古き良き日本を感じる。
岡益の石堂 安徳天皇宇倍野陵墓参考地の特徴
因幡万葉歴史館に展示される、謎の石堂の魅力的な歴史があります。
7世紀から8世紀初頭の白鳳期に創建された遺跡の主要な一部です。
特徴的な石階段は雨天時に滑りやすいので注意が必要です。
石段を5分ぐらい歩くと着きますが、雨降り時には石段滑ります。こちらの石碑を見た時に、「好太王碑」を思い出しました。功績を後世に残す思いを・・・
建築者・建築年代・建築目的とも不明のため、地元では「謎の石堂(いしどう)」と呼ばれています。岡益の石堂は岡益集落にある長通寺という寺の背後の小高い丘にあります。古墳の切石のような巨石を用いた巨大な石塔で、山陰地方最古の建造物と考えられています。石堂は一辺6.6m、高さ1mの基壇の上に、厚さ40cmの一枚岩でできた壁石6枚で側面を囲んでいます。さらに中央に高さ2m近くの心柱を立て、その上に四角形の中台石を載せ、さらに塔の笠石を重ねています。基壇や壁石は凝灰岩の精巧な切石です。心柱はふくらみをもったエンタシスで、中台石の裏側には忍冬(にんどう)渦巻蓮弁放射文様が刻まれています。このような石造物は日本には例がないですが、法隆寺の柱が、このエンタシスによって作られていることが知られています。また、法隆寺の壁画にも、忍冬渦巻蓮弁放射文様が描かれています。岡益廃寺の施設とみられる一方安徳天皇の墓とする説もあり、明治29年(1896)に安徳天皇御陵参考地に指定され宮内庁が管理しているため整備は十分整っています。御陵とするには、かなり難しいので参考地としていると思われます。駐車スペースもあるので見学はしやすいです。
左手の石階段は濡れていると滑りやすいので、右手の道を廻ると良いと思います。時間はさほどかかりません。ただし、クモの巣が張っているので注意。石堂の大きさをぜひ現地で体感してください。因幡万葉歴史館にレプリカが展示されています。合わせての参観をお勧めします。
バレーボールコートくらいの芝生があり隣接する駐車場には手荒い場や、公衆トイレ(和式、男トイレ女トイレ別)もあり、のんびり過ごせれます。
🅿️もトイレも完備。
不思議です。何か歴史から消されたのか、どうやって作ったのか?
本当になにもないからね!
「岡益の石堂」はこの同じ場所から掘り出された瓦や遺構から7世紀から8世紀初頭の白鳳期に創建された(岡益廃寺跡)の遺跡の主要な一部です。石堂は四方6メートル、高さ1メートル位の土台に据えられています。正面に出入口があり、周囲は厚い壁石に覆われて、その部屋の中央に高さ2メートル位の真ん中あたりがふくらみを帯び、ていねいに加工された円柱が建っています。その円柱の上には天井石が乗っており、この天上石に模様(蓮花弁と忍冬文化)が浮き彫りにされているとの事ですが、これはここからでは見えません。「岡益の石堂」の裏は林になっていますが、ここには石像や五輪塔、基石などが散見されました。ここにも当時この地で生活を営んでいた人々の息吹を感じます。いい時間が流れました。少し腰を下ろし休んでいると、下の駐車場からここまでは小高い山の上ですから、いく段かの石段を上ってくる必要がありますから、上がってこられる方の声が聞こえています。(あぁ~しんどい、やれやれここよぉ~)とご婦人が後から来ているご主人に話しています。今日ここで出合った最初で最後のご両人です。お邪魔にならないように静かに立ち去りました。
1本の柱を、風化させないように、大事に大事に囲っています。
名前 |
岡益の石堂 安徳天皇宇倍野陵墓参考地 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1096973281140/index.html |
評価 |
3.6 |
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福井県の小浜市(鯖街道)京都府の京丹後市 竹野川や大手川に川上谷川兵庫県の円山川など大陸との繋がりを感じますが鳥取県の袋川支流にも同じ雰囲気を感じながら撮影してました。