岩井・愛宕山の霊泉で癒し。
医王山 東源寺の特徴
岩井の愛宕山麓に位置する古刹で、神代からの歴史を感じる寺院です。
薬師如来の化身が現れた伝説を持つ、霊泉が湧き出る特別な場所です。
中国薬師霊場第47番として、多くの信者に親しまれています。
中国薬師霊場 第47番。
「東源寺」は岩井の愛宕山の麓の古刹で、神代の昔から湧出する霊泉と共に鎮座します。東源寺は初代将軍徳川家康時に改名した天台宗のお寺です。愛宕山の山頂までの参道には片側にまた曲がり角付近に(〇〇国〇〇施主による第〇〇番)と刻まれた石地蔵がある一定の間隔で奉納されています。長い年月が石地蔵に降りかかり第七番目の石地蔵はこられ切れずに石段の近くに横たわったままになり、その状態がちっとも不自然でなく愛宕山の参道にすっかり溶け込んでいます。山頂までには第十八番を数え、山頂には三体の石地蔵が奉られています。いずれの石地蔵の左側面に「東源寺」とあります。東源寺のお住まい住宅からご婦人が玄関から外出姿で出てこられます。姿を見て「いかがでしたか?、上にあがって見られましたか?」とお尋ねです。東源寺辺りも愛宕山の紅葉にも負けない位、色づいています。日一日と季節は秋から初冬へと向かいます。
「東源寺」は岩井の愛宕山の麓の古刹で、神代の昔から湧出する霊泉と共に鎮座します。東源寺は初代将軍徳川家康時に改名した天台宗のお寺です。愛宕山の山頂までの参道には片側にまた曲がり角付近に(〇〇国〇〇施主による第〇〇番)と刻まれた石地蔵がある一定の間隔で奉納されています。長い年月が石地蔵に降りかかり第七番目の石地蔵はこられ切れずに石段の近くに横たわったままになり、その状態がちっとも不自然でなく愛宕山の参道にすっかり溶け込んでいます。山頂までには第十八番を数え、山頂には三体の石地蔵が奉られています。いずれの石地蔵の左側面に「東源寺」とあります。東源寺のお住まい住宅からご婦人が玄関から外出姿で出てこられます。姿を見て「いかがでしたか?、上にあがって見られましたか?」とお尋ねです。東源寺辺りも愛宕山の紅葉にも負けない位、色づいています。日一日と季節は秋から初冬へと向かいます。
後継争いを避けた藤原冬久がこの地に訪れると大病を患うそこに薬師如来の化身が現れ杖を突き刺すと滾々と温泉が湧出その湯を浴びると平癒した冬久さん御礼に自ら薬師如来像を彫り安置したのがこの寺。
中国薬師霊場47番 中国楽寿観音霊場1番。
| 名前 |
医王山 東源寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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因幡三十薬師霊場の参拝でお伺いしました。天台宗のお寺で医王山東源寺といい薬師霊場第五番札所になります。御本尊は薬師如来です。平安時代初期に岩井温泉を開創したと伝わる藤原冬久が、貞観元年(859年)に温泉で難病を癒された恩に報いるため自ら彫った薬師如来像を祀ったお寺といわれています、藤原冬久は公卿藤原氏の末裔といわれた人物です。東源寺は古来より因幡地方の霊場として参詣客が訪れ温泉とともに繁栄しました、その後の仁明天皇の時代観平六年(894年)には慈覚大師円仁が唐からの帰国途中に東源寺に立ち寄り堂宇を建てた際にこの故事を聞いて寺号を栄山如来寺と改称し自ら刻んだ薬師如来を安置すると寺運も再び隆盛したといいます。貞享三年(1686年)には本堂の他に諸堂を整備し寺号を医王山湯元寺に改称しました、その後因幡の国の東の名湯の源泉という意味に因み寺号を東源寺に改称した。本堂中央須弥壇に御本尊薬師如来像が両脇に日光菩薩像と月光菩薩像が祀られています、その左右に六体づつの十二神将と仁王像が祀られています。本堂左側には大日如来像・毘沙門天像が右側には阿弥陀如来像と地蔵菩薩像が祀られています。