沼代で感じる戦争の爪痕。
旧陸軍飛行第22戦隊 陸軍中佐上原重雄戦死の地碑の特徴
第22航空戦隊長の慰霊碑は戦争の爪痕を感じる場所です。
敵艦載機の攻撃命令に直面した歴史を知ることができます。
戦争の悲しさや虚しさを再確認できる貴重な史跡です。
敵艦載機数百機の来襲に対して上級司令部の命令は「手持ちの機体を温存せよ」でした。 祖国を我が物顔で飛び交う敵機群、若い部下たちは出撃させてくれと隊長である上原大尉に迫ります。 部下たちをなだめ隊長としての責務を果たさんと大尉は単機出撃します。 疾風は最高速で米軍機に引けを取らない傑作機でした。 だが数百機に対して単機ではどうにもならず被弾します。操縦席を開き皇居にむかって万歳をしたと、住民は目撃しています。 戦死当時上原氏の奥様は懐妊しており、戦死後にむすめが生れたそうです。 数年前(令和五年のいま)までは奥様もご存命でしたが現在は遺族との連絡は途絶えているそうです。 娘さんと親類の方がいちき串野市のお墓を守っておられるとの事。 最近になって気が付いたのですが、万歳できるほど体力が残っていてパラシュートで脱出しなかったのは機体を民家にぶつけたくなかった為ではと思い始めています。
戦跡の一つになります。やむにやまれぬ気持ちだったのでしょうか。
♪︎ 沼代の上空で散った、第22航空戦隊長の慰霊碑。
あらためて戦争の悲しさ、虚しさを感じる場所。疾風のプロペラが知らない当時を思い出させる場所で、自然と手を合わせてしまいました。
守りのこしていくべき、知るべき、戦争の爪痕だと思いました。終戦の年に、相模湾からの空襲に向かって単機出撃し、撃墜され沼代のみかん山の中腹に墜ち、戦死された…と、文字で書けばこういうことだが、28才の上原重雄さんという人間の心を思うと、切ない。日本を守ってくれた人が沢山いたことを忘れてはいけないと思わされた。プロペラの弾痕が痛々しい。
名前 |
旧陸軍飛行第22戦隊 陸軍中佐上原重雄戦死の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
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