小牧・長久手合戦の歴史を感じる。
久保山砦跡の特徴
久保山砦跡は小牧・長久手の合戦において重要な役割を果たした場所です。
約3,000の兵が守備していたという歴史的背景が印象的なスポットです。
砦の規模は東西九間、南北十三間と記録されており興味深いです。
小牧・長久手の合戦時に総大将・羽柴秀吉の本陣がある楽田城のすぐ側に築かれた砦で、東西九間・南北十三間の規模であったとされています。蜂屋頼隆・金森長近が約三千の陣を敷いて守備しました。現在の内久保山西南麓にある三明神社周辺が砦の位置と思われます。遺構らしきものは残っていません。名古屋経済大学の敷地の南西の場所になります。
内久保砦(はっきりわからず大体この辺であろう)天正12年 小牧長久手合戦時の秀吉側のと砦守将は金森長近、蜂屋頼隆で約3,000の兵で守備していたと言われ、合戦後は廃城。東西九間、南北十三間の規模だった。内久保砦、外内久保砦、小松寺砦は秀吉の本陣がおかれた楽田城と連携し前線として機能した一群の大きな砦だったのではないかと言われている。大学や高校が近くにありますが、お山の小道を通り、駐車場もない静かなところです。木が生い茂っているので景色は見えませんでしたが、小高いところで当時は見晴らしがよかったのでしょう。入り口に樹齢250年のしいの木があります。神社は小さいながらも静かで素敵な佇まいでした。入口の鳥居のところに、内久保砦ののぼりが立っており、目印になります。登ってみると他に碑等見当たらないようでした。(ご存じの方是非教えてください)P:ありません。
| 名前 |
久保山砦跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.komaki.aichi.jp/admin/soshiki/kyoiku/bunkazai/1_1/2/bunkazai/9163.html |
| 評価 |
2.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2026.4.25訪問。長久手古戦場記念館に寄ってからの訪問。小牧長久手の戦いの時に金森長近と蜂屋頼隆が3,000の兵で詰めたとされているが詳細不明。場所も推定でしかないが、秀吉の本陣とされる楽田城から近く防衛ラインとしての位置どりは正解と思います。ただ、小牧長久手の戦いのハイライトといえば長久手〜岩崎、この辺りは膠着状態の場所なので、認知度はゼロに近い。布陣地なので遺構もゼロ。人も車も通りは少ないので鳥居の前に車を駐めさせてもらいました。