明治の灯台、菅島の魅力発見!
菅島灯台付属官舎の特徴
明治6年に建てられた菅島燈台は、歴史を感じる魅力的な場所です。
展示されている燈台のレンズは、訪れる人々を驚かせる素晴らしいコレクションです。
洋風の造りが特徴的で、オシャレな雰囲気が楽しめる観光スポットです。
明治6年(1873)建設灯台守が住んだレンガ造の洋式住宅内部には常設展示で灯台関係の資料と伊勢湾に浮かぶ「神島」の灯台で実際に使用されていた回転フレネレンズが体感できます。
三重県鳥羽市菅島町にあった菅島燈台附属官舎は、明治6年(1873年)に英国人技術者リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもと建設されました。彼は「日本の灯台の父」と呼ばれています。 この建物は、灯台守が生活するための住居として設計され、壁はイギリス積みのレンガ造りで、正面にはベランダが設けられています。ベランダに面した出入口は両開きのガラス戸に鎧戸が付いており、窓は上げ下げ式で同様に鎧戸が備えられています。これらの特徴は、植民地建築様式の影響を色濃く反映しています。また、扉や開口部の額縁、巾木などには木目塗りが施されており、当時の工部省燈台局関連の建物によく見られる技法が用いられています。昭和39年(1964年)に博物館明治村へ移築され、現在もその美しい外観と歴史的価値を伝えています。
燈台で使用されていたレンズが多数、展示されています。
ビックリします。心臓の弱い人はご注意。
洋風の造りですねオシャレに見えます。
菅島機台附属官舎は、茶台のかりを管理する係員の住居である。創建から暫くの間、イギリス人技師が住んでいたといわれている。官舎はお雇い外国人のイギリス人技術者ブラントンの指導により建設されたもので、イギリス流のレンガ造であるが、正面にベランダを造る形は、東南アジアの植民地風でもある。棟瓦は地元の瓦屋によって焼かれた。扉、額縁、巾木等の塗装模様は当時流行の木目塗である。
菅島燈台は明治6年(1873)伊勢湾の入り口、鳥羽沖合の菅島に建てられた。品川燈台がフランス人の手になるのに対し、これはブラントンを頭とする工部省燈台局のイギリス人技術者の設計管理になるものである。明治初期の洋式燈台では、燈火の管理も外国人によって行われたため、付属の官舎もレンガ造の洋式住宅が建てられている。レンガ造の壁に木造の洋小屋を載せて桟瓦を葺いている。出入り口は両開きのガラス扉に鎧戸を付け、窓は上ゲ下ゲ窓でやはり鎧戸を備えている。国指定重要文化財。
燈台のレンズが常設展示されています。
| 名前 |
菅島灯台付属官舎 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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官営施設らしく落ち着いた感じの建物。ちなみに現存最古のレンガ造り燈台が菅島燈台で、しかもなお現役。「菅島燈台は現三重県鳥羽市菅島町に設置された燈台で、明治六年(一八七三)七月に点灯が開始された。この附属官舎は燈台と併行して建設され、主屋、倉庫、物置の三棟からなっていた。設計は英国から招聘されたブラントンを主任とする工部省燈台局の御雇外国人技術者によるもので、煉瓦造である。使用された煉瓦は的矢湾内の渡鹿野島に住む竹内仙太郎によって焼成されている。この燈台は昭和三十四年に灯火の管理が自動機械化されたため、係員の常駐が不要になり、付属官舎が明治村に払い下げられた」(『解説版新指定重要文化財13(建造物Ⅲ)』毎日新聞社、1982)。