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名前 |
清慶寺南帝塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
清慶寺の一角に白壁で囲まれた宝篋印塔が立てられています。清慶寺内にある史跡は説明板があるので、歴史や詳しい説明を読むことが出来ますが、この塚にはありません。過去・嘉吉の乱で滅んだ赤松家の家臣が、お家の再興に望みをかけ長禄元年に南朝側に潜入し、南朝方の若い王子(仁尊親王)の首と神璽(しんじ)を奪い北朝側へ持ち帰った功により赤松家は再興したそうです。しかしながら再興を果たすために親王の命を奪った罪悪感から自身の領土であったこの場所に首を葬り供養したのがこの塚と言われているそうです。なお、現在の塚は江戸時代後期の作成とされており、塚が立てられた当時の姿そのままではないようです。なお寺にある看板には南帝御首塚とされているのがこの場所になります。また調べていくと二尊親王は後醍醐天皇の曾孫とされる人物で塚には仁尊親王と彫られています。