歴史感じる舞鶴・鸕鷀神社。
鸕鷀神社 (うのもりじんじゃ)の特徴
小さな神社ながら、歴史を感じる静かな場所です。
田辺城跡の近くに位置し、歴史的な背景があります。
管理員がいるため、信仰の場として大切にされています。
田辺城跡西側にある神社前には、城跡の壁にある学校がある。
古くからこの場所に鎮座してるのであれば・・・田辺城も近いので大切な神社だったのでしょうが・・・「今」はひっそりとしています。
小さな神社です。
小さな神社ながら、なかなか歴史がある神社らしいですね。正式名称の「鸕鷀」はどう読むのやら。通称の「うの森」しか使う人はいないでしょう。
鸕鷀神社(うのもりじんじゃ)は、京都府舞鶴市南田辺にある神社。難字のため、うのもり神社、うの森神社とも表記され、地元では「うの森さん」と親しまれている。創建年代は不詳。もともとは当地周辺の円満寺村の氏神だった。安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、細川氏が田辺城を築城した際、円満寺村の村民が4軒だけ残して喜多村(きたむら)に移住させられた。それ以降、城内の二の丸に奉斎され、城の守護神になった。しかし、祭日には円満寺村の村民達は城内に入ることが許されていたという。境内には今でも田辺城の石垣が残されている。築城期の、自然の石を積んだ「野面(のづら)積」で、博打岬の花崗岩を切り出した石ともされる。明治になってからか、場内からの移転の動きがあったが、財政難で中断、さらに浄財を集めてようやく完成したのが現在の神域。現在の社殿は大正元年(1912年)10月に竣工したもの。屋根はカヤ、随所に銅板が用いられている。御祭神は鸕鷀草葺不合尊。初代神武天皇の父にあたるが、明治になってから改められたものだともいう。境内には、蝮(マムシ)除けの御砂があり、持ち帰ることができる。昔、この辺りに藁葺き商として暮していた男がおり、ある時、道を歩いていたら足元に蛇が巻きついていきた。蛇が離れようとしないので、そのまま当社まで歩いた。ヘビは強い毒性のあるマムシだったが、男は当社の白い砂をマムシにかけた。すると、マムシは男の足から離れ、当社の神域から逃げて行ったという。現在も、農作業を行う人が砂を取りにくることがあるという。
名前 |
鸕鷀神社 (うのもりじんじゃ) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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神社小而殘破,旁邊有一戶住家,估計是神社的管理員。