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名前 |
稲荷神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
稲荷神社の別当(管理)は龍寶寺であったが、明治5年(1872年)の修験宗廃止令により廃寺となったようで、いまはない。初午の日とは「お稲荷さんの総本山、京都の伏見稲荷大社に農耕を司る神様が舞い降りた日」といわれる。❷【参考 新編武蔵風土記稿 1830年】稲荷神社 江戸時代の時の社の紹介文鎮守である。例祭2月初午の日(2月最初の午(うま)の日)、及び8月13日である。別当は龍寶院である。(現在はない)[鎮座地] 吉際村[例祭日] 2月初午の日、8月13日[別当] 龍寶院龍寶院[號] 蘆際山[宗教] 本山修験 小田原玉瀧坊配下[本尊] 不動[中興] 源覚坊_________________❶【参考 新平塚風土記 1970年】稲荷神社維新前の史料によると“よしぎわ村”は11戸を持っていたが、1970年現在は9戸である。この里には鎮守稲荷神社が祀られていて、毎年10月3日に祭典が行われている。寺院は今は存在していないが、明治初期までには真言宗系の修験寺“龍王院”があったが、廃され本尊不動明王は、村役人を勤めた旧家の末裔、柳下氏が所蔵している。ちなみに、よしぎわの9戸はみな柳下の姓としている。宗家は明瞭ではないが、江戸時代中期に移住し開墾に苦労を重ねた人たちの子孫であると思われる。