庚申塔と明治の道。
道祖神・地神塔・庚申供養塔の特徴
庚申塔の右上には初 庚申供養の文字がある。
明治の地図を見て道の歴史に納得できる体験ができる。
地元の歴史を感じながら静かに礼拝できる場所である。
2023/3/10ここの行き止まりの道について、明治の地図を見て納得した。当時は横浜新道などは無く、ここの先は現 新道の向こう側にある細い道路へと繋がっていた。その道を[東に曲がる]と「らあめん藤浪」の前を通り大山道(現 瀬谷柏尾道路)の「上矢部北」交差点にぶつかる。一方、曲がらずにまっすぐ行くと、今有るマンション(ユードリーム横浜戸塚)やウインズラジャを突き抜ける道が、大山道とほぼ平行に岡津辺りまで有った。2023/02/01ここは、上矢部を通る横浜新道のすぐたもと、周りは住宅地で行き止まりのところ。そんな所に、明確に区切られた一角に3体の石塔が有る。因みに新道の向こう側には、やや離れているが、正福寺や大善寺が有る。塔を左から見てみる。①道祖神「天保四◯◯五月・願(主) 廣田嘉(兵)衛門」江戸後期の1833年、願主により建立。この塔は、年代にも拘わらず著しく荒れている。また折れていたようで、悪条件の露地に有ったのだろう。②地神塔 (道標)正面:「地神塔」右面:「右 大山 左 戸塚 道」左面:「明治十一 戊寅 三月社日」さらに台座には、「講中・大善寺 (他5名)・正福寺 (他5名)」とある。1878年、大善寺と正福寺の講中が建てたものらしい。講中に、寺院の名を見るのは、初めてだ。しかも明治になっての建立だ。右面に有るように、この塔は「道標」を兼ねている。今は新道のためにわからなくなっているが、当時は此の辺りに大山道(現 瀬谷柏尾道路)に通じる道が通っていたのだろう。③庚申供養塔「庚申供養 藤井講中 延享元 甲子 十一月廿八日」江戸中期 1744年、藤井講中により建立。
| 名前 |
道祖神・地神塔・庚申供養塔 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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