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名前 |
伝・大坪慶秀五輪塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
大坪慶秀って誰?大坪慶秀は、当地大坪出身の馬具(鞍)職人にして、馬術の流派を創設した人物であるという。室町時代の前期頃、室町幕府足利将軍家に仕える等、足利氏とは深い関係にあったといわれる大坪慶秀は、生没年が不詳(生年:正中元年(1324年)、没年:応永十四年(1407年)説が有力らしい)である為か、将軍が足利義満!、義持!、義教?!、義勝?の頃活躍した人物と、年代が大分幅広く推定されている。当時の主流馬術、小笠原流を小笠原政長から学び、精進して独自の馬術を形成しつつ、その馬術に使用される馬具(鞍、鐙)を改良製造し、総じて【大坪流馬術】を創設した。一説には、常陸国鹿島大神参詣の後、馬具の製造方法を指南される夢(霊夢)を見、それに基づいて製作された鞍は、『夢想鞍』と名づけられたらしい。そんな伝説的なエピソードは兎も角、その理論と実践に基づいて製作された馬具は、見事な出来栄えだったことだろう。その後の大坪流馬術は、幕末明治期に西洋馬術が輸入されるまで、日本の馬術の主流として広く伝わったという。また、この地に土着した大坪氏一族の中には、室町幕府における関東地方の政府機関【鎌倉府及び古河】の足利公方家の家臣(足利氏根本家臣)となった者もあったという。実際に大坪慶秀の墓(供養塔)と伝わる五輪塔を見学する。大坪一族の菩提寺という福楽寺。寺の表の境内には数基の小さい石碑があるが、ここには無い。寺院の裏手に墓地があることは当初全く気付かなかった。更に一般の墓地の奥まった所にある為、発見はなかなか難しかったが、2度目の訪問で見つけた。詳細は不明だが、五輪塔はその形状から室町期の作らしい。傍らに立つ四角の木柱は、恐らく五輪塔の由来を示す文言が綴ってあったのだろうが、現在は表面が剝げ落ちて、朽ち果てている。史跡としての存在感は薄いが、当地の小領主だった大坪一族の足跡を示す石塔は、いまだ健在である。