多摩川の記憶、心に刻む散歩。
多摩川決壊の碑の特徴
昭和49年の台風16号による決壊を記憶する碑です。
多摩川の水位上昇の影響を体感できる場所です。
お散歩に最適な静かな空き地でリフレッシュできます。
土手に何気なく行ったので、最初遠目で何かなと?近付いたら、ここで決壊した場所なんだなと分かりました。ただ、説明パネルが古くて説明が読見にくいので、綺麗にした方が…。
自然災害伝承碑。広い河川敷の真ん中にあります。1974年台風16号により多摩川の堤防が決壊し、周辺住宅が全壊・流失するなどの被害が出たことを記す碑で、当時の写真も刻まれています。
当時地方の小学生でしたが、ニュースで衝撃をうけました。あと、岸辺のアルバムも。
1974年9月1日、台風16号によって増水し狛江市付近の堤防が決壊。幸いにも、事前に住民らが非難していたため死者は出ませんでしたが、多くの民家が流出した水害の決壊地点がまさにココ。
現在、工事中🚧です。
あの映像は衝撃的でした。
《碑文引用》碑 文 昭和49年(1974)8月31日深夜から9月1日夕方にかけて、台風16号の影響を受け、上流氷川を中心にした多量の降雨のため、多摩川の水位が上昇を続けました。この出水により、1日昼頃、二ヶ領宿河原堰左岸下流の取付部護岸が一部破壊されたのを発端に、激しい迂回流が生じたため高水敷が侵食され、懸命な水防活動もむなしく、午後10時過ぎには本堤防が決壊し、住宅地の洗掘が始まりました。迂回流はその後も衰えを見せず、本堤防260mを崩壊させたうえ、1日深夜から3日午後までの間、狛江市猪方地区の家屋19棟を流失させる被害をもたらしました。 この「多摩川水害」は、首都圏の住宅地で発生し、3日間という長時間にわたった特異な災害であり、報道機関によってリアルタイムに全国に報じられ、多くの国民の注目を集めました。 建設省は、災害直後から速やかに本堰周辺の復旧工事を進め、翌年には完了させるとともに、「多摩川災害調査技術委員会」を設置し、いち早くその原因の究明にあたりました。 一方、被災住民は国家賠償法に基づき提訴し、河川管理の瑕疵について改めて指摘された水害ともなり、平成4年(1992)に判決が確定しました。 平成10年(1998)、従来の堰より40m下流に洪水を安全に流すとともに、豊かな水辺環境の保全と創造を目的とした新しい堰が完成しました。 ここに、水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記するものです。 平成11年3月27日建設省京浜工事事務所狛江市この多摩川決壊の碑は、2019年10月10日の台風19号で、一時的に撤去されていましたが、2020年6月現在、碑は元の場所へ戻されています。
小田急線の和泉多摩川駅から少し歩くと多摩川に出る。堤防を降りると河川敷が広がる。ここは狛江市に当たる。その河川敷に多摩川決壊の碑がある。1974年9月、台風16号で洪水が発生し多摩川の堤防が決壊し民家19戸が流された。ちょうどこの碑があるあたりであるが、今はその面影はない。1977年テレビドラマ「岸辺のアルバム」が放送された。このドラマは多摩川決壊をモチーフにしている。オープニングでは洪水で家が流される映像が流されていた。この碑は当時の被害の状況が記されている。
「多摩川決壊の碑」は2019年の台風19号が来る前に行政により取り外され、保管されたとのことです。こちらのブログに記載がありました。➜ [検索]「1日1猫 多摩川決壊の碑はどこへ」河川敷に水が溢れ稀有な濁流となることを想定してのことと思います。なお、台風19号は2019年10月12日夜から翌早朝にかけて当地を通過しています。1974年の決壊の時には、実際に多くの家具が川を流れる光景を目撃しました。また、数キロ離れた自宅には自衛隊が水流の障害となっていた宿河原堰堤(しゅくがわらえんてい)を爆破する鈍い爆破音の響きも伝わってきました。都市のど真ん中であのようなことが起こるのは正に驚きでしたが、2019年の台風19号では多摩川も含め各地で川の氾濫が発生し、さらなる驚愕でした。(❖update: 2020-04-24 upload: 2019-11-05)
名前 |
多摩川決壊の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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岸辺のアルバムを思い出しました。