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名前 |
六倉渡船場 跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
六倉渡船場 跡礫を使った石垣が素敵平安時代の承平五年(九三五)につくられた『和名抄』に、愛甲郡内の五郷の一つとして六座郷がみえる。この六座郷は相模川にそう六倉を中心にしてひらけていた郷である。当時ここは東国への街道のすじで、陸運、舟運ともに便利な土地であった。舟渡しは、そのころから下六倉と対岸の高座郡との間にあったという。しかし、この舟渡しも交通路の返還にしたがい、中世のころからその繁栄は上流の小沢渡船場に移っていった。江戸時代にあっての六倉渡船場は熊坂村、八菅村の両村持ちで舩二艘が置かれていた。のち、対岸の田名村と共有するようになり、舟渡しは大正期までつづいた。愛川町教育委員会との事。下り坂の途中ですので、他の車輌等に気を付けて下さい。現在の川の位置より随分高いですね。