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名前 |
二部宮の鼻の道標 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
嘉永2年(1849)北面「左 大さか」「右 びんご」東面「左 黒坂」「右 米子」鉄道も国道も通らず、山間部の一集落に見える二部地区ですが、かつては交通の要衝として発展していました。施主として「大坂道とんほり 近江屋市次郎 日本ばし南詰」という名が刻まれているのが大きな特徴で、江戸時代末期にはスポンサーが広告を出すという発想があったことを示しています。