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名前 |
三上八幡宮跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
三上八幡宮の三上とは、中世の山城である岩常の二上城城主、後に新井の道竹城城主となった、但馬の山名一族の三上兵庫頭豊範の名前から来ています。中世の因幡国は但馬山名氏が守護となり、14世紀に岩常の二上城を山名時氏が築城して因幡守護となり、後に鳥取市湖山池の側にある天神山城へと移りました。16世紀頃、城主不在になった二上城へ入ったのが三上兵庫頭でしたが、二上城は山が険しく不便だったので、新井の山に道竹城を築いて居城としました。その頃、山名一族間での小競り合いが起こり、天神山城城主の山名豊数が道竹城に不意打ちをかけ、馬で背走した三上兵庫頭が水田で立ち往生となり自刃しました。この三上八幡宮とは、三上兵庫頭が自刃した地に建てられた祠の跡で、現在も水田の中にポツンと石碑が遺されています。水田は耕作地なので、稲刈り後〜春先までしか訪れる事ができません。