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名前 |
県立和歌山高等女学校跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
旧制和歌山県立和歌山高等女学校の跡地に設置されている石碑。同校は和高女(わこうじょ)の通称で知られました。和歌山市吹上にある和歌山県立桐蔭高等学校の前身校に当たります。1888年(明治21年)11月に和歌山高等小学校女子部附設温習科(師範学校女子部入学志願者を対象とした予備教育機関)として創立、1891年(明治24年)4月に和歌山市立和歌山高等女学校として開校。高等女学校令(府県による高等女学校の設置を義務化)の公布に伴い、1901年(明治34年)4月に県立移管され、和歌山県立高等女学校となった後、同年6月には和歌山県立和歌山高等女学校と改称。校地は和歌山市七番丁の旧紀州藩家老・渡辺主水家屋敷跡(現在の和歌山城ホール)にありましたが、1903年(明治36年)2月に和歌山市湊通丁北一丁目(石碑所在地)に移転。戦災により校舎が焼失した後、市内の焼け残った学校の校舎を間借りして授業を続けたそうですが、1948年(昭和23年)の学制改革により閉校。なお、和歌山市美園町に存在した和歌山市立和歌山市高等女学校(同地に石碑あり)とは異なります。