池月像と源頼朝の歴史。
名馬 池月之像の特徴
宇治川の戦いに関わる名馬、池月の銅像がある場所です。
源頼朝の愛馬として知られる池月の像が見られます。
洗足池のほとりに位置し、千束八幡境内に佇んでいます。
石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、再起を図り鎌倉へ向かう途中、現在の洗足池の近く、八幡丸の丘に宿営しました。その夜、どこからともなく頼朝の陣営に現れた一頭のたくましい野生馬がいました。青い毛並みに白い斑点を持つその馬の姿が、池に映る月のように美しかったことから、頼朝はこの馬を「池月」と名付け、自らの愛馬としたそうです。
源平合戦時に活躍した名馬・池月の像。躍動感のある造形。洗足池の周りに在り。
題字は佐々木泰南(1909〜1998)青森県出身の書家である。本名は憲二。銅像の原型は佐々木高綱の末裔で彫刻家の佐々木憲章(1942~)これ以上は不明。施工の前田屋外美術は既に倒産している。荒々しさの中に勇壮さを感じる像だ。
なるほどー「宇治川の戦い」の先陣争いで有名な名馬である池月はこの辺りの野良馬やったんや!それで洗足池の畔で陣を敷いてた源頼朝が「えー馬見っけ」と捕えて自分の馬にしたんやと😁もっとも…源頼朝の時代は洗足池という名称じゃないはずやけどー(洗足池の名の由来は日蓮上人がこの池で足を洗ったことに因む)しかし池月の池は洗足池のことやったとは…めっちゃ素敵な勉強になりました😃それにしても躍動感のある銅像やな!さすが先陣争いの勝者の銅像素晴らしい👍️
宇治川の戦いの先陣争いで、磨墨に勝った名馬池月の像です。子供の頃に読んだ源平合戦の物語によると、池月は荒馬で、乗りこなすのは大変だったそうですが、戦の場では無双で、名馬の誉れ高く、今に伝わります。
洗足池のほとり、千束八幡境内に建つ。佐々木高綱が源頼朝から与えられて宇治川の戦いなどで活躍したことが有名な名馬「池月」他に生月、生食、生喰とも書く。宇治川の戦いで先陣争いをした梶原景季の名馬「磨墨」も大田区の萬福寺に像が建っていてともに訪れたし。
源頼朝の愛馬「池月(いけづき)」の銅像です。
源頼朝が千束の畔で宿営時に、どこからともなく野馬が飛来。突然、頼朝の前に現れたこの野馬は、「池に映る月影のよう」であったことから「池月」と名付けられ、頼朝の乗馬とされる。洗足池の高台から今も池を見つめています。
| 名前 |
名馬 池月之像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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▼義経が西上して、木曽義仲の軍と宇治川合戦で対峙した時に、頼朝の名馬を借りた、2人の武将が一番乗りを競います。▼頼朝挙兵時から頼朝と苦労を共にした佐々木兄弟の4男・佐々木高綱は、この像の「池月」を、石橋山合戦で頼朝を見逃した功により頼朝側陣営の幹部となった梶原景時の息子・景季(かげすえ)、彼は「磨墨」という名馬に跨ります。▼結果は佐々木高綱の頭脳プレイと暴れ馬・池月の手綱さばきにより、この池月が先陣争いの勝者になる話は有名ですね。▼何故ここに池月の像があるかというと、池月が洗足池周辺を飛び回っていた野馬だった時に、月明かりに照らされた馬体が月と一緒に池の水面に映る姿があまりに美しく、これを見た鎌倉入りに向かう途中の頼朝が、「美しい!池の月と同じくらい!」と言ったので池月となりました。▼野馬だっただけに、暴れ馬で、人でも食いついてくることもあって「生唼」(いけづき)と呼ばれたという伝承もありますね。「池月」比べるとかなり現実的でロマンテックではなくなりますが。▼ちなみに、この池月、新横浜駅の近くにある佐々木高綱屋敷跡の直ぐ近くに馬頭観音としてのお墓があります。▼結局、高綱は頼朝に池月を返さなかったのですね。