浅利与一地蔵尊で歴史を体感。
浅利与一地蔵尊の特徴
平家物語に登場する浅利与一に由来する場所です。
地域の皆さんが地蔵様をきれいにお掃除されています。
国道20号からすぐのアクセス便利な位置にあります。
地域の皆さんがお地蔵様の周辺をお掃除。地域に大切にされています。歴史は面白いです。浅利与一をきっかけに、今まで興味のなかった鎌倉時代がぐっと、面白くなりました。
FB友人の投稿で知った、平家物語に登場する「浅利与一」所縁の『浅利与一地蔵尊』が仕事でしょっちゅう行きかう国道20号からそれてすぐの処にあるといういうので、仕事の途中で寄ってみました。普通の個人のお墓よりは大きいものの、格式のある地元の誰かのものかと思う程度の、ひっそりとした佇まいで、およそ、平家物語の所縁のある人物の墓所とは、事前の情報と、"案内板"が無ければ見過ごしてしまいそうな場所にありました。恐らく、一見では分からない。そして、口伝えでしか伝わっていない隠れたお話しがあるような気がしました。その様な、"知る人ぞ知る"お話しを知っている。或いは、聞いたことがあるという人や、コアな郷土史研究家は、この様な「クチコミ」の投稿などを通じて発信して頂けたら嬉しいのに、と思う次第でした。
| 名前 |
浅利与一地蔵尊 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
本によるこの場所の紹介文を見てみる。「甲斐国志」には7つの石により積み重ねられた石地蔵であった、とある。風雨を過ごした其の地蔵は、重なりあった石から雨水が垂れて模様を作り、今とは違う雰囲気を持つ地蔵であったのかもしれない。___________❷【参考 都留市史 資料編 [2] (都留郡村絵図・村明細帳集) 1988年】6尺あまりの大石地蔵は今も鎮座している。ただし、【甲斐国志】に記された地蔵は 安政6年(1859年)の山崩れでうまり、現在の石地蔵は明治26年に再建されたものである。勿論、7段にわかれてはいない。「与市源義遠之霊」とあって、義遠を祀るようになっている。このあたりは「浅利日向の庄」と称したと伝えられるところで、浅利村全体からみると南端であるが、最も開けたところで、土豪が居を構えても不思議ではない。村絵図では右方の集落の上に森を配して祠、堂が描かれているが、その右横にある。山崩れにあい、やや南に再建したのである、とある。___________❶【参考 甲斐国志 1814年】土人、相伝える、浅利式部という人の居跡なりと、古き「石地蔵」畑の中にたてり、長さ6尺(1.8m)余り、足より頭まで石を重ねる事7段なり、これ、おもうに遠方より運来の便なるか為なるべし、浅利氏、いにしえ鎌倉より召し来しという、いづれか是なるをしらず、とある。