大石良雄自刃の碑、歴史を感じる場所。
大石良雄等自刃の跡の碑の特徴
忠臣蔵ファン必見、静かな史跡の大石良雄自刃の跡の碑です。
大石良雄が預けられた細川邸周辺には歴史の足跡が残っています。
マンション裏に位置し、ひっそりとした雰囲気で訪れやすい場所にあります。
この石碑は大正になって建てられたもので、自刃の地への道しるべ。石碑からアパート敷地を進んだ正面が自刃の地。
いきなり史跡が出てきてビックリしました。大石良雄=大石内蔵助江戸時間は細川家の大名屋敷でしたが今は都営アパートになっています。
泉岳寺からやや離れた場所にあります。碑は大正6年に建立されたものになります。大石良雄ですが、赤穂浪士の総帥で、官名から大石内蔵助と称されることが多いかと思います。赤穂浪士は吉良邸討ち入りで本懐を果たした後に、幕府からの命により、4つの大名家に分けてお預けとし、良雄は泉岳寺近くの肥後熊本藩主細川綱利 の屋敷に預けられました。そして元禄16年(1703年)2月4日にお預けとなった大名家に切腹の命令がもたらされ、この自刃の碑から少し西に入った細川家の大書院の上の間の中庭(諸説あり)において自刃されました。享年は45歳とのことです。
忠臣蔵の大石内蔵助の本名が大石良雄なんですね。まるで今の人の名前のようです。身長が157センチくらいで目が細く梅干しのような顔だと聞いたときは映画やドラマの演者の長谷川一夫とか片岡千恵蔵の印象が強いのでちょっとびっくりしました。介錯にはかなり苦労したようで何度も首骨に当たったとか。大声を出したとか。なかなか首が落ちなかったようです。享年45歳。切腹の際は震えていたという資料を読んだことがあります。切ない話です。
大石内蔵助ファンなら一度は行くべし✌️マンション裏にひっそりとあります☝️
大石内蔵良雄自刃の跡の碑は、港区高輪1-15-1
浅野内匠頭や赤穂浪士が眠る泉岳寺にほど近い場所。都営アパートの入り口に碑が建っている。この辺りはかつて肥後細川家の下屋敷があった場所。吉良邸討ち入りの後大石内蔵助など17名の浪士が細川家に身柄を預けられた。そして全員に切腹が言い渡され、この場所で切腹した。実際に切腹した場所として、ここから少し行ったところに「大石良雄外十六人忠烈の跡」がある。大石内蔵助の終焉の地でもある。忠臣蔵ゆかりの地の一つである。
比較的小さな碑です。説明の看板等はありませんが、「ああ、ここで切腹したんだなあ」と歴史を感じました。
このあたり上皇さまがお住まいになる皇族邸や高松中学を含む周囲1.3キロくらいが江戸時代の細川邸で、仇討ちを果たした浪士のうち16名がお預けになった一か所。この碑から入っていくと切腹を果たしたという庭の跡が保存されています。
| 名前 |
大石良雄等自刃の跡の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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