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名前 |
相澤五流・伴主父子の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
お寺の歴史に関する史跡っす。 ^_^;;五流江戸時代関戸村の旧家であった相澤家は、文化人として知られた五流・伴主父子を排出した。五流(1748~1822)は、多摩郡(三多摩)発の法眼位を獲得した狩野派の絵師として、伴主(1768~1894)は生花「弁中流」の創始者として、当時の住まいの変化による床の間や袖等の出現と相まって、ともに多摩郡及び周辺の広い地域を活動の場とした。伴主弘化二年(1845)、伴主は自らの下絵を元に、江戸の絵師長谷川雪堤に描かせた調布多摩川に関する絵巻物を刊行した。大菩薩峠を円形とした上流部から河口の羽田までを幅三十センチ、長さ十三メートルあまりの巻物に仕立てた物で、限られた誌面の中に流域の景観を描ききっている。この親子を含めた相澤家の墓の史跡である。