表参道の静かな慰霊碑。
和をのぞむ「山の手空襲」追悼碑の特徴
表参道交差点近く、おしゃれな街に静かに佇む記念碑です。
戦争の歴史を感じる、変わった形の慰霊碑が印象的です。
昭和二十年の大空襲の記憶を今に伝える重要な場所です。
◆山の手空襲の慰霊碑かつてこの場所には空襲被災者のご遺体が集められ、死屍累々となっていました。近くにある大きな石灯籠の土台をよく見ると黒ずんでいますが、これは空襲で焼けた跡です。平和な時代に生まれたことに感謝しつつ、悲劇を繰り返さないために何ができるか考えていく必要があると思わされます。
■和をのぞむ「山の手空襲」追悼碑東京都港区北青山にある石碑。北青山三丁目 表参道交差点前に建つ戦災追悼記念碑。建立:平成19年 (2007) 1月港区赤坂地区総合支所区政六十周年記念事業実行委員会●御影石の高さ2メートル余りの石柱碑が1基ある。加えて同じ石材の角材が4基並びあり、内1基が石柱碑の真下で台座とされてある。石柱碑の上部には、クリ貫いて輪にし、二股の脚を付けたように細工が施されてある。石柱碑の表正面に横書きで「和をのぞむ」と彫標されてあり、その下には縦書きで碑文が記されてある。●昭和20年(1945)3月10日からの下町を中心とした東京大空襲の中でも大きな被害を受けた「山の手空襲」。山の手を標的にした同年5月24日と、25~26日の山の手大空襲では、徹底した爆撃により、旧区の芝区の一部、麻布区・赤坂区の大半が焼け野原となった。5月25日夜からの空襲は特に被害が大きく、周辺でおよそ4000人が亡くなっている。合掌🙏港区では地域における戦争の記憶を風化させることなく、若い世代をはじめとする幅広い世代に伝え、平和についてそれぞれが考える機会とするため、令和2年度から献花の呼びかけを行っている市民団体「山の手空襲を語りつぐ集い実行委員会」と共催で、表参道にて献花を実施している。令和7年5月25日の追悼日は事前に広報もしていたようだ。◉昨年夏前に此方の追悼碑を参拝した。撮影もしたのだが帰神した際には媒体破損で記録が無くなった。Google MAPの修正をした。名前変更とウェブサイトを加えた。和をのぞむ「山の手空襲」追悼碑 と改名。以前は、和をのぞむ 戦争慰霊碑、だった。総務省が、一般戦災戦死者の慰霊碑や追悼施設を平成の後期なり全国調査した。出来たものからホームページで公開している。此の追悼碑も総務省に該当ページがありウェブサイトに該当を充てる。
Not noticed by almost everyone, the memorial to the Yamanote Air Raid in late May 1945. The inscription reads:Towards the end of the Pacific War, in May 1945, there was a massive air raid on the Yamanote area, reducing much of the Akasaka and Aoyama areas to ashes.Zelkova trees were on fire on Omotesando, and many people lost their lives in the fire and hot winds near the intersection of Aoyama-dori, with no way to escape.We commemorate those who died in the war and pray from the heart for world peace without war.To mark the 60th anniversary of the establishment of Minato Ward, we erect a monument for peace here.太平洋戦争の末期、昭和二十年五月、山の手地域に大空襲があり、赤坂・青山地域の大半が焦土と化しました。表参道では、ケヤキが燃え、青山通りの交差点付近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました。戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、心から戦争のない世界の平和を祈ります。港区政六十周年にあたり、この地に平和を願う記念碑を建立します。
表参道交差点近くにありますあまり目立たず 静かにあります。
太平洋戦争の末期、東京は空襲の被害を受ける。中でも1945年3月10日の下町を中心とした空襲は最も被害の大きな空襲であった。東京大空襲といえばこの空襲をさすことが多い。しかしアメリカ軍の東京への爆撃は容赦なく続く。東京は幾多の空襲を受けた。1945年5月25日には山の手を中心とした空襲があり多くの被害を受ける。死者は4000名近くといわれる。「山の手空襲」といわれ、青山、赤坂、ここ表参道あたりも空襲の被害を受け焦土と化した。そして多くの犠牲者が出た。表参道の交差点の一角に空襲の犠牲者を追悼する碑が建っている。地下鉄の出入り口の裏にその碑はある。「山の手空襲」追悼碑。今表参道といえば今やおしゃれな街の一つ。その昔ここで戦争の被害があったことを知る人も少ないのであろう。街ゆく人がこの碑に目を止めることはない。かくいう私もその一人。この地にそんな碑があることを今まで知らなかった。私たちには決して忘れてはならない、語り継がなければならないことがある。その山の手空襲の追悼碑にはこう刻まれている。和をのぞむ太平洋戦争の末期、昭和二十五年五月、山の手地域に大空襲があり、赤坂・青山地域の大半が焦土と化しました。表参道では、ケヤキが燃え、青山通りの交差点付近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人が亡くなりました。戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、心から戦争のない世界の平和を祈ります。港区政六十周年にあたり、この地に平和を願う記念碑を建立します。平成十九年一月港区赤坂地区総合支所区政六十周年記念事業実行委員会。
若者達が行き交うおしゃれな街に慰霊碑がありました。太平洋戦争の京期、昭和二十年五月、山の手地域に大空襲があり、赤坂・青山地域の大半が焦土と化しました。表参道では、ケヤキが燃え、青山通りの交点点付近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人が亡くなりました。戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、心から戦争のない世界の平和を祈ります。港区政六十周年にあたり、この地に平和を願う記念碑を建立します。平成十九年一月。
太平洋戦争の末期、昭和二十年五月、山の手地域に大空襲があり、赤坂、青山地区の大半が焦土と化しました。表参道ではケヤキが燃え、青山通りの交差点付近では、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました。戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、心から戦争のない世界平和を祈ります。港区政六十周年にあたり、この地に平和を願う記念碑を建立します。・・・・・・・という事でした。
変わった形の慰霊碑です。
| 名前 |
和をのぞむ「山の手空襲」追悼碑 |
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| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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たまたま見つけた慰霊碑。読んで、心が震えた。