慶長八年の京橋、歴史の足跡。
京橋の親柱(南西側)の特徴
京橋は慶長八年に創建された歴史ある橋です。
京橋の親柱は地域の地名を今に伝えています。
明治以降、木造から石橋へと架け替えられました。
こちらは2025年11月26日の訪問となります。日比谷公園に欄干柱がありますが、欄干柱が欄干に付いていた柱なのに対して親柱は端っこ、つまり四本しか存在しない橋の命となる柱です。こちらは京橋駅のちょっと南にあります。てか元々橋があった場所なんですかね。名前が彫られてるのに柱としての格の違いを訴えている感じがあります。
中央区銀座。かつてここに京橋川が流れ、京橋という橋が架かっていました。橋の名の由来は諸説ありますが、東海道の起点である日本橋から京都へ登る最初の橋であるという意味から来ているとされます。橋には擬宝珠が飾られ、これは幕府が日本橋・新橋と共にこの橋を重視していた証です。 現在の京橋一帯はビジネス街ですが、江戸時代までは職人の街であり、大鋸町(おがちょう)、南鍛冶町、畳町、南大工町といった職人の仕事に由来する町名がつけられていました。また、京橋と今の銀座一丁目に架かる白魚橋の北東河岸は竹職人が集まっていたことから、竹河岸と呼ばれ、歌川広重の絵『京橋竹がし』にも描かれています。明治以降は区名にもなった京橋ですが、関東大震災で壊滅してからは、ビジネス街へと変貌し、街の風景は大きく変わりました。戦後、京橋川の埋め立てに伴い、1959年に京橋は撤去され、現在は残された親柱が往時の姿を今に伝えるのみです。
画像は 道路の東側の方の親柱です(南詰東側)。1922年(大正11年) に橋が架け変えられた時のものらしいです。照明設備を備えています。「京橋」「きょうばし」の橋名と「大正十一年十一月」の銅板プレートが付いています。京橋川は埋め立てられたが、京橋という地名は残り、京橋から北は日本橋、京橋から南は銀座 になり、または、京橋は「銀座の北の入り口」とも言われる。平日の昼頃でしたが、日本橋も銀座も 物凄く人が多いですね。日本人も外国人も多い。銀座中央通りの町並みですが、日本橋方向も立派ですが、銀座方向は さらに凄いですね。繁栄している という感じがします。夜も たまに通りますが、夜は さらにスゴいです。「きらびやか」とは このことか! と思います。
中央区観光協会によれば”京橋は日本橋と同年の慶長8年に架橋されたといわれています。江戸時代は木橋でしたが、明治8年に石造アーチ橋に、同34年には鉄橋となりました。昭和38年から40年にかけての京橋川の埋め立てに伴って撤去され、現在中央通りの歩道に石造親柱が3基残されています。このうち、擬宝珠のある2基は、明治8年のときのものです。”となり銀座通り口交差点北西角にモニュメントとして残されています。
京橋は日本橋と同時期にできた橋。昭和40年頃埋め立てられた京橋川。今は上が首都高に。近くの交番が親柱をモチーフに造られていてステキ。
かつて江戸期の日本橋は流通において水運が大きな役割を担ってきました。今やその川や堀の多くは埋め立てられましたが、東京のあちこちにこうして橋の跡が残されています。こちらは地名だけ残った「京橋」の由来を、実物とともにとどめる親柱。京都っぽく柱の頭に擬宝珠がついています。こういうものが沢山残っているのが近代的大都市ながら他の国々と大きく違うポイントであり楽しみだな、と思います。
旧東海道踏破チャレンジ_ステップ1(日本橋-立会川) 京橋を通過。
🎨銀座の記念碑巡り〜京橋の親柱🎨京橋はとても由緒ある橋であったし、今尚地名としても残っている。また、メトロ銀座線の京橋駅としても馴染みが深い。江戸の頃には日本橋を出立して最初に架かる橋であった。当然橋の下には川の流れがあったのであるが、昭和の世になって高速道路建設によって埋め立てられ、橋も撤去された。現在川も無く橋も無い中で、かつての石造りの親柱がノスタルジックに残されている。時の流れに身をまかせ、今日も人の往来を見守っているのである。
京橋は、慶長八年(1603)の創建とされ、日本橋とほぼ同時期に架けられたと伝えられる歴史のある橋です。昭和三十八年から四十年にかけての京橋川の埋立て工事に伴って撤去されましたが、その名残りを留めるものとして、石造の親柱二基と、石およびコンクリート造の親柱一基が残されています。このうち、二基の石造親柱は、明治八年(1875)に石造アーチ橋に架け替えられた時のものです。 江戸時代の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形をしており、詩人の佐々木支陰の筆による「京橋」と「きやうはし」の橋名が彫られています。また、石およびコンクリート造の親柱は、大正十一年(1922)の拡張工事でアール・デコ風の橋に架け替えられた時のものです。 照明設備を備えた近代的な意匠を持ち、「京橋」と「きょうはし」の橋名と「大正十一年十一月 成」の銅板プレートが付けられています。明治・大正と二つの時代に設置された親柱は、近代橋梁のデザインの変化を知ることができる貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。京橋川が流れていた頃の東京を見てみたいですね。
| 名前 |
京橋の親柱(南西側) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.chuo.lg.jp/kusei/syokai/tyuobunkazai/kyobashioyabashira.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目2−4 旧 京橋南西側橋詰位置 |
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京橋を示す親柱が残っています。昔、京橋川があった名残です。