幸國寺の静かな隠れ家、石川家墓域。
旗本 石川忠房の墓の特徴
幸國寺本堂西側に位置する石川忠房の墓が見どころです。
幸國寺墓地北西端には石川家墓域が広がっています。
静かな雰囲気の中、最奥部にたたずむ歴史を感じる場所です。
幸國寺本堂西側(左奥)にあります。碑もあり。石川忠房(1755~1836)旗本、大阪城番、勘定奉行、本城留守、ロシアのラスクマンと会見、大黒屋光太夫の受け取りなど。和歌をよくした。・朝散大夫左近将監石川君墓碑銘(石川忠房墓碑) 林衡撰、關研(藍陵)書・題額[臥13113]。事實文編52(巻三)所収・入正院殿妙定日聚大姉 信子儒人墓碑銘(石川忠房夫人) 寛政8 源忠良立 平茂之代書撰 石川忠房歌 ※他に二妻・三妻の墓など。
| 名前 |
旗本 石川忠房の墓 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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幸國寺墓地の北西端に石川家墓域があり、最奥部に石川忠房の墓があります。石川忠房(1756-1836)は、江戸時代の旗本で、「文政三傑」と呼ばれた文政年間の能吏。幕末期に通商を求めたロシア使節のラックスマンとの交渉を担当し、ロシアに漂流していた大黒屋光大夫などの身柄も引き受けています。墓石の右手に石碑があるが、文字は風化が進み殆ど読み取れません。