江戸の水道玉川上水で歴史を感じる!
小金井分水の特徴
玉川上水は江戸時代初期に開削された歴史的な水路です。
江戸の飲料水不足を解消した重要な史跡として評価されています。
約43kmにわたる壮大な水路の一部を実際に訪問できます。
砂川用水の小金井分水への分水口脇に小金井市が設置した小金井分水の案内版が建っています。なお、小金井分水は1688年~1704年にかけて順次許可を受け作られた飲料水、灌漑用水、水車などに利用された水路で、当初の取水口は玉川上水にあり、丁度現在の取水口の延長上にありました。その後1870年に、玉川上水から直接取水していた南部水路取水口を砂川用水へ統合し、小金井用水も現在の場所で取水するようになりました。小金井分水は南下する中で山王窪の北側と南側で1本ずつ分水したとのことです。
| 名前 |
小金井分水 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
「玉川上水」は、江戸時代の初めの頃に、江戸の飲料水不足を解消するため、羽村の多摩川から江戸(四谷大木戸)まで約43kmにわたり開削された江戸六上水のうちの一つです。現在も羽村取水堰から小平監視所まで水道原水導水路として利用され、下流部では再生水が流れる清流復活事業が行われ、遊歩道としても親しまれる歴史的な水道であり、現役の水道でもあり、その史跡でもあります。江戸幕府から、玉川庄右衛門、清右衛門兄弟に、工事執行の命が下ったのは、承応2(1653)年の正月で、同年4月4日には着工し、同年11月15日には完成して、翌年の承応3(1654)年6月からは、江戸市中への通水が開始されました。わずか8ヶ月の工事期間でした。玉川上水は、この当時から、あちこちで分水され、その周辺には多くの分水路が設けられました。「小金井分水」もその一つです。この近辺で、他に有名な分水路だと、「小川用水(小平付近)」や「野火止用水」などがありますが、武蔵野の台地は、水に乏しいところで、これらの水道用水が、武蔵野の台地での生活や新田開発等に果たした役割は、極めで大きいものがあります。なお、この付近は、南側と北側のほんの少し標高の高いところに位置しており、ここから北に600~700Mほど行ったところにある小平市鈴木町1丁目付近の武蔵野団地かいわい、そして、その東側の、小平市御幸町(みゆきちょう)の湧水群や、小平市花小金井南町の窪地(いずれも小金井カントリー倶楽部内付近)などは、「石神井川(しゃくじいがわ)の源流域」になっています。石神井川は荒川水系の川です。また、ここから南に200Mほど行った中央大学付属中学校、高等学校脇にある「小金井市自転車保管所」や、ここから約500M南にある都道248号線「新小金井街道」にある「仙川(せんかわ、せんがわ)上流端」は、ともに多摩川水系の川である「仙川の源泉」です。ちなみに、仙川には、昭和52年にできた「仙川 小金井分水路(総延長 1,950M)」と言って、仙川上流部での氾濫を防ぐ為に、仙川の水を野川に直線的に放水するための分水路が設けられています(土管直径3.2M)。この水路は、都道247号線との仙川交差部分から、この道路の地下を南に向けて通り、都道247号線の南端のT字路突き当りである「東町四丁目西」交差点で都道134号「連雀(れんじゃく)通り」の西側に曲がり、そこから350M辺りにある「みはらし坂」の通りの地下を通って、武蔵野公園内にある野川につながっています。