上野駅直結!
アトレ上野の特徴
上野駅直結でアクセス抜群、便利なショッピングモールです。
上野駅前には歴史ある記念碑があり、訪れる価値があります。
上野公園の美術館や博物館も近く、文化を楽しめる立地です。
上野駅直結の便利で魅力的なショッピングモールです。ファッション、雑貨、飲食店など幅広いジャンルの店舗が揃っており、日常使いから観光客の立ち寄りスポットとしても最適です。館内は広々としており、洗練された雰囲気で買い物や食事を快適に楽しむことができます。特に、上層階にある飲食店街では和洋中さまざまなジャンルの料理が味わえ、ランチやディナーにも困りません。また、駅直結という立地の良さも魅力で、天候に左右されることなく利用できるのが嬉しいポイントです。季節ごとのイベントや限定商品も楽しめるため、何度訪れても新鮮な発見があります。観光や通勤・通学の合間に手軽に立ち寄れる便利な施設で、幅広い世代におすすめです。
上野駅前にある記念碑。戦後の東京復興のため東北の若者を中心とした東京への集団就職が始まりその際若者達を乗せた夜間列車の終着駅となったのが上野駅でした。金の卵と呼ばれた若者達の中にはその後中小企業の経営者として成功した人達もいました。その人達によって建てられたのがこの記念碑です。上野駅に降り立った若者達を描いたレリーフとその下に彼等の応援歌である「あゝ上野駅」の歌詞が刻まれたプレートがあります。経済や観光で発展した現在の上野を見ると彼等の様な戦後の日本を支えてきた人々を偲ばずにはいられません。
巨大なモニュメント色々な角度から見ることで、漢字も見え方も大きく変わるから、楽しいですね。
集団就職の最初の事例となったのは、1935(昭和10)年3月に凶作に見舞われた東北地方の救済策として秋田県で実施され、1939年4月、秋田発上野行きの「専用臨時就職列車」が運行され、本格的集団就職の流れが形作られたそうです。終戦後は、戦後復興や高度経済成長と、都会や工場の労働力不足を埋めるために、その流れは更に加速していきます。1975年3月24日、盛岡発の集団就職列車が上野駅に到着。これが最後の集団就職列車となり、日本の高度経済成長も終わりを迎えることになります。私は集団就職世代ではありませんが、大学進学で田舎から都会へ出て来た身。2024年東京一極集中が問題となり、地方の活性化等も都知事選の争点となりましたが、この「あゝ上野駅」の碑を眺めていると、なんだか複雑な気持ちになりました。「あゝ上野駅」の歌は、私の生まれる前の歌ですが、それでも心に響くものがあります。
上野公園の美術館や博物館、電車の乗り換えでよく利用しています。ホームの数が多いので乗り換えも近い所と遠い所で結構時間が掛かったり半地下や地下ホームもあったりと分かりにくい所もあります。駅自体が古く天井の低い通路もあります。東北方面への始発電車が多かった関係で車止めのあるホームが多いです。最近は自動で調理するセルフ駅そばでも有名です。
大先輩が歌うカラオケの締めの歌。集団就職で、最初に訪れた大都会東京の最初の駅、上野駅。思い出が一杯蘇る、想いのこもった歌です。先輩も何度も訪れていたそうです♪
田舎から東京へと、集団就職した人たちの歴史を感じました。祖母が演歌好きでしたので、「ああ上野駅」の歌も耳にしたことがあり、慣れない都会での生活に苦労した先人の方々、その犠牲の上に今日の日本の経済発展があるのだと感じずにはいられません。上野は動物園やら博物館、文化の場所でもありますが、今も昔も人々の出発点、心の拠り所でもあるのだなと感動しました🙂
上野駅広小路口前に立っているのを最近知りました。歌碑が立てられたのは、平成15年。これまで何十回と通っていましたが気づきませんでした。いくつか調べた内容を要約すると、東京オリンピック開催に伴い、働き手不足の東京に「集団就職」の波が広がった。戦後の青森駅発・上野行き臨時夜行列車が集団就職列車として運行開始され、昭和50年に廃止されるまで上野駅着の夜行列車が「集団就職」のシンボル的な存在だった。という背景の中で、生まれた詞との事でした。自分の親世代の話のため、話は聞いた事がありましたが、年齢を重ね改めて聞くと、この歌碑建立に込められた思いが伝わってきました。
この奥で喫煙させて頂きました勿論ご迷惑お掛けしないよーに細心の注意をはらいマイ灰皿は当然です☹️謎の郵便受けがあった動画参照。
名前 |
アトレ上野 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-5826-5811 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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変わらないお店。ネタが良かった。どれかのネタに鱗が付いてましたが、すぐ気付いたし、都度捌いているかのようで良い証かと思います。