歴史を感じる航空機工場跡。
中島飛行機軍需品武蔵工場爆撃目標地点の特徴
1937年に新設された航空機エンジン工場の跡地です。
軍需工場としての歴史が感じられる説明看板があります。
過去の大戦の状況を学べる貴重なスポットです。
公園北東側の隅で6基のベンチに囲まれています。現在は穏やかに時が流れる空間です。
先の大戦で巨大な軍需工場であったため何度も爆撃を受けた工場の中心部に時系列での説明看板が設置されています。
過去の歴史深い状況について学べるところでした。
名前 |
中島飛行機軍需品武蔵工場爆撃目標地点 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0422-23-5900 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

1937年(昭和12年)に軍部による航空機増産要求に応じ翌年新設された航空機エンジン工場がここにあった。当初は陸軍用の武蔵野製作所が建てられ、3年の後隣に海軍用の多摩製作所が建てられ、さらに2年の後、国の要請で両工場が合併し武蔵製作所と言う大工場となった。当然WW2中には空爆の目標となり、B-29爆撃機による東京初空襲は此処が「Target No. 357」と呼ばれる標的となった。1944年11月24日から1945年8月8日まで9回の爆撃を受け工場従業員・動員学徒及び周辺住民に多くの犠牲が出た。その空襲の際多く使用された「Aiming Pont(爆撃照準点)」が、円形広場であるここである。(ここの北方にある東伏見稲荷裏手に武蔵製作所の慰霊碑がある)